東京・山王日枝神社「山王祭」
まるで江戸時代にタイムスリップ!?
改めて知っておきたい日本の祭り
古くから日本人の暮らしに密着し、土地の風土や文化を表す「祭り」。祭りの中には旅行客が参加できるものも多く、地域の人々と同じ体験を共有できる。また参加することで日本の文化や歴史も学べる。祭りを目的とした旅は、普通の旅行では味わえない特別な体験をもたらしてくれる。
今回紹介するのは、東京・永田町の山王日枝神社で隔年6月半ばに開催される「山王祭(さんのうまつり)」。江戸三大祭のひとつであり、さらに京都の祇園祭、大阪の天神祭とともに日本三大祭にも数えられる、山王祭とはどんな祭りなのだろうか?
※2024年は6月7日(金)~17日(月)にて開催予定
東京のど真ん中で
江戸時代にタイムスリップ!
日本では特に夏の初めから秋にかけて祭りが多い。それは夏の初めはこれからくる夏が無事に過ごせるようにという願いを込めて、またお盆のころは現世に戻ってくる先祖の霊を慰めるため、そして秋は収穫を祝い感謝するといった目的のためだ。
東京の永田町にある山王日枝神社は6月半ばに山王祭を開催する。この祭りは江戸の三大祭りの一つ、そして日本三大祭りの一つに数えられるもの。山王日枝神社は、武蔵野を開拓した人々が、江戸の守護神として山王宮を祀ったのがはじまりとされている。
その後江戸城を築城した太田道灌が、江戸鎮護の神として川越山王社を勧請。1590(天正18)年に徳川家康が江戸城に入る際、城内に日枝神社が祀られていることを喜び「城内鎮守の社」として、また江戸庶民からも「江戸郷の総代神」として崇敬された。
山王祭は「神輿行列」と「山車行列」で構成され、山車行列は氏子である160余りの町々が、単独またはグループで参加する。江戸時代、山車の数は45台と決められたが、そこに踊り屋台や練り物が随行し、それぞれの町内が競って趣向を凝らしたため、非常に長い行列となったという。氏子になっている町が多く、巡幸する範囲が広かったため、見物人はあちこちで華麗な行列を楽しめた。祭りを楽しんだのは庶民だけでなく、三代将軍・家光のときから、山王祭の行列は城内に入ることを許されて、将軍をはじめ城内の人々も見物することができた。ふだん場外に出ることができない大奥の女性たちにとって、山王祭は江戸の町の賑わいを感じられる、特別な祭礼だったことは想像に難くない。時代が下るにつれ、どんどん祭りが華美になっていき、何度かお上から「贅沢をしないように」と取り締まりを受けたこともあったほど、山王の祭りは盛大なものだった。
明治維新で世の中が変わり、道路や電線が都内に張り巡らされると、山車の通行が難しくなってしまう。また、関東大震災や戦災により多くの山車は焼失したが、各地に渡ったものもあり、いまもその土地で巡幸されている。
隔年で行われる本祭「神幸祭」は、二基の鳳輦(ほうれん)、一基の神輿、六隻の山車が、銀座や八重洲など氏子町内を巡幸する。高層ビルが立ち並ぶ中を王朝衣装の人々が練り歩く姿は、現代といにしえの時が交錯する不思議な景色。江戸時代の姿をほうふつとさせるその姿を一目見ようと、国内外からの観光客が訪れる。
バラエティ豊かな山車と神輿
江戸時代、天下祭と謳われた山王祭の巡行は神輿と山車の巡行だった。山車とは、祭礼時に山、鉾、人形、花等の代物を飾りつけて、牛が曳いたり人が担いだりする移動神座のこと。江戸時代の山王祭では、45台もの山車が引き出され、行列は江戸の町を埋め尽くさんばかりだった。明治維新後、さまざまな事情で山車の巡行から神輿の渡御へと移り変わっていった。
主祭神や相殿神を乗せた神輿、鳥や猿をはじめとした動物や美少年、花を乗せた山車など、バラエティ豊かな神輿と山車も大きな見どころのひとつだ。
山王祭
開催日|隔年6月中旬 ※2024年は6月7日(金)~17日(月)にて開催予定
開催場所|山王日枝神社
住所|東京都千代田区永田町2-10-5
Tel|03-3581-2471
https://www.hiejinja.net/index.html
ライタープロフィール
湊屋一子(みなとや・いちこ)
大概カイケツ Bricoleur。あえて専門を持たず、ジャンルをまたいで仕事をする執筆者。趣味が高じた落語戯作者であり、江戸庶民文化には特に詳しい。「知らない」とめったに言わない、横町のご隠居的キャラクター。
参考文献=祭りの辞典(東京堂出版)、日本の祭り(実業之日本社)