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秋の北海道・阿寒湖紀行【前編】
まりも祭りとカムイノミの裏側。
アイヌ民族から学ぶSDGsのヒント

2021.12.4 PR
<small>秋の北海道・阿寒湖紀行【前編】</small><br>まりも祭りとカムイノミの裏側。<br>アイヌ民族から学ぶSDGsのヒント
毎年恒例の「まりも祭り」は中止になったが、アイヌ民族の儀式「カムイノミ」は例年通り行われた

たんちょう釧路空港からバスに揺られること1時間10分。そこには阿寒湖の雄大な自然が広がっている。2021年8月にはライターの大石始さんと写真家の鈴木優香さんが現地を訪れ、夏の阿寒湖の魅力をレポートしてくれたが、今回はその第2弾。紅葉シーズン真っ只中、鮮やかな色彩にあふれる秋の阿寒湖の魅力を3回に分けて紹介してもらおう。

〈今回旅した人〉

文=大石 始(おおいし はじめ)
音楽や祭りなど各地の地域文化を追うライター。旅と祭りの編集プロダクション「B.O.N」主宰。主な著書に『盆踊りの戦後史』(筑摩書房)、『奥東京人に会いに行く』(晶文社)、『ニッポンのマツリズム』(アルテスパプリッシング)、『ニッポン大音頭時代』(河出書房新社)など。現在、屋久島古謡に関する著作を執筆中

写真=鈴木優香(すずき ゆか)
東京藝術大学大学院修了後、商品デザイナーとしてアウトドアメーカーに勤務。2016年より、山で見た景色をハンカチに仕立ててゆくプロジェクト「MOUNTAIN COLLECTOR」をスタート。現在は山と旅をライフワークとしながら、写真・デザイン・執筆などを通して表現活動を続ける

鮮やかな色彩に埋め尽くされる
阿寒湖の秋

阿寒湖畔には豊かな森が広がる

「秋の阿寒湖は本当に美しいですよ」――今年8月に阿寒湖を訪れた際、地元の方は誇らしげにそう語っていたものである。たんちょう釧路空港から阿寒湖に向かう道中、僕はその言葉を何度も噛み締めることになった。夏の阿寒湖が空と森の青さで染め上げられるとすれば、秋は色づいた木々の黄色と赤色で塗り尽くされる。その鮮やかさは目が眩むほどで、雲一つない秋晴れがさらにその色彩を際立たせている。

ひとたび湖畔の森に足を踏み入れると、そこには夏とは異なる風景が広がっていた。阿寒湖の森では、秋になるとカツラの葉がほのかに甘い香りを放つ。その匂いを嗅ぎ取ろうと落ち葉に鼻を近づけると、クルミが落ちていることに気づいた。

阿寒湖畔エコミュージアムセンターの野竿陽平さんの話では、クルミはエゾリスの大好物だそうで、運がよければエゾリスがクルミを齧る音が聴こえるらしい。秋の阿寒湖は夏に比べると観光客も少ない。静かな森をひとりじめできるこの感覚は、秋の醍醐味ともいえるだろう。

阿寒湖越しに雄阿寒岳を眺める

まりも祭りの原点にある
「まりも返還運動」

阿寒湖温泉生まれの木彫作家である秋辺デボさんは、舞踊家・演出家としても活躍中

阿寒湖温泉の秋の風物詩が、1950(昭和25)年にはじまった「まりも祭り」だ。この祭りではまりも踊り行進、まりも神輿、勇壮な千本タイマツといった観光客向けのアトラクションが賑々しく行われる一方で、カムイノミと呼ばれるアイヌ民族の儀式も行われる。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、まりも祭りも昨年・今年と縮小となり、今年は関係者によってカムイノミだけが執り行われることになった。

前回に続いてお話を伺ったアイヌコタンの中心人物、秋辺デボさんは「まりも祭りは各地のアイヌ関係者の再会の場所でもある」という。

「まりも祭りは全道から200人ものアイヌの同胞が集まって、元気だったかい? とあいさつを交わす場でもあるんだよね。一年に一回しか会えないから再会が楽しみでね」

また、再会の場であるまりも祭りは、アイヌ文化の復興を支えてきた。デボさんはこう話す。

「昔のアイヌは地元では隠れて歌ったり踊ったりしてたの。でも、阿寒湖では安心して踊ることができた。まりも祭りに参加するためにアイヌの踊りを復活させようという動きが全道規模ではじまったわけで、まりも祭りからはじまったムーブメントはとても大きかった」

アイヌは自然や動植物などあらゆるものをカムイ(神)として崇めてきたが、アイヌの人々はまりもを特別視していなかったという。デボさんは「まりもを育む環境に感謝するということだよね」と話す。

「まりもが生きていける環境があれば、人間も生きていける。まりもは環境のバロメーターでもあるからね」

まりも祭りの原点には、昭和20年代に阿寒湖で起きた「まりも返還運動」がある。植物学者の川上瀧彌(かわかみ たきや)が阿寒湖でまりもを発見し、「毬藻」という和名を付けたのは1897(明治30)年のこと。その後、まりもは観賞用として東京などの都市部で販売されたことで乱獲が進んだほか、水力発電所が阿寒川に建設された影響などから昭和20年代には絶滅の危機に瀕していた。

そうした中で、全国で販売されたまりもを引き取り、湖に戻そうという活動が地元からはじまるのだ。それは1950(昭和25)年に開催された第1回「まりも祭り」として結実することとなる。時代は日本が高度経済成長期に突入する数年前。日本における自然保護運動の黎明期、阿寒湖はいち早く住民主導の自然保護活動を行なっていたわけだ。

伝統・創造「オンネチセ」でカムイノミを行うアイヌコタン関係者

「SDGsとか言ってるけど、ようやく気づいたかと(笑)」

まりもを育成地に返すという作業は、当初からカムイに祈りを捧げる「カムイノミ」として行われてきた。アイヌ民族はさまざまな場面でこのカムイノミを行う。たとえば森に入るとき、安全祈願と森へのあいさつを兼ねてカムイノミを行う。今回もまりも祭りは縮小となったが、伝統創造「オンネチセ」で関係者のみのカムイノミが行われた。

カムイノミのあとはイナウ(祭具)が並ぶ野外のヌササン(祭壇)の前で女性たちが踊りを披露する。観光客のためのものではなく、あくまでもカムイのための、自分たちの踊り。エンターテイメント的な、阿寒湖アイヌシアター「イコㇿ」での舞踊とは違って、まさに奉納といった雰囲気だ。

ヌササンの前で踊る女性たち
勇壮なクリムセ(弓の舞)

その後、阿寒湖に浮かぶチュウルイ島でまりもを送るカムイノミが執り行われた。まりもを迎え、湖に再び送り返す。そうしたプロセスの根底にある精神は、まりも祭りがはじまった1950(昭和25年から何も変わっていない。

チュウルイ島でのカムイノミ

言うまでもなく、アイヌ文化は単なる観光コンテンツではない。自然とともに生きることとは? 文化を伝えるということとは? 地域に生き、生活するということとは? 阿寒湖でアイヌ文化に触れることによって、私たちの心の中にはいくつもの問いが残されることになる。それこそが阿寒湖旅行の最高の「土産物」となるはずだ。デボさんはこう話す。

「萱野茂(かやの しげる)っていうアイヌの先輩が昔言ってたんだよね。アイヌは自然の利子で食べていて、元金には手をつけないと。そうすると、サイクルができて、ずっと生きていくことができる。産業構造や資本主義を見直さなくてはいけない時代になってきて、よく考えて舵取りしていかなくちゃいけない。SDGsとか言ってるけど、ようやく気づいたかと(笑)」

10月の阿寒湖には、雪虫と呼ばれる小さな虫がちらちらと舞う。アブラムシの一種で、この虫が出てくると、雪が近い合図なのだという。阿寒湖では11月になると初雪が降り、やがて一面の雪に覆われることになる。

チュウルイ島に渡る遊覧船の船中にもアイヌの祭具であるイナウが掲げられる

 

ユーカラ堂、前田一歩園財団…
阿寒湖アイヌコタンのキーマンを訪ねる

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第1回|大自然とアイヌ文化に出合う夏  前編 後編
第2回|秋は祭りや儀式で阿寒湖をより深く体験 前編 中編 後編
第3回|冬の阿寒湖でアイヌ文化と豊かな風土にふれる  前編 後編

text=Hajime Oishi photo=Yuka Suzuki

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