大阪《大坂城》
15年かけて築城された
天下人・豊臣家の象徴
|豊臣兄弟ゆかりの城
これまで秀吉が主役になることはあったが、2026年はその弟・秀長が脚光を浴び、大河ドラマで主役を務めている。そこで、歴史著述家である上永哲矢さん監修のもと、下層身分から天下人へと上り詰めた豊臣兄弟たちの活躍を追いながら、ゆかりの「城」を解説。今回は、大阪府大阪市にある「大坂城」をご紹介!
上永哲矢(うえなが てつや)
歴史著述家/紀行作家。各種雑誌やウェブサイトに歴史コラムを寄稿。著書に『戦国武将を癒やした温泉』(イカロス出版/山と溪谷社)、『三国志 その終わりと始まり』(三栄書房)など。
《1583年》
天下人の権威を見せつける絢爛たる巨大城

写真提供=大阪城天守閣
秀吉の居城・長浜城のある北近江は、清洲会議における話し合いで柴田勝家に与えられた。その一方、秀吉は京・大坂の地を得たことで西の山崎(天王山宝寺城)に一時、拠点を構えるようになった。
主導権争いで秀吉と勝家はいよいよ対立を深め「賤ヶ岳の戦い」で激突した。この織田家を二分する激しい合戦に勝利した秀吉は信長の権力と体制を事実上継承し、支配者への道を歩みはじめる。
その秀吉にとって、古くから港湾都市として栄えた大坂(後の大阪)は、天下に号令するのにふさわしい新しい拠点だった。

豊臣時代の石垣
本丸の地中に埋没している豊臣大坂城(秀吉の時代)の石垣は以前から発見されていた。一般の人の眼に触れる機会が少なかったが、2025年に開設された地下展示室「大阪城 豊臣石垣館」で見ることができる
写真提供=大阪城天守閣
この地には、信長と長年抗争した仏教勢力の拠点・石山本願寺があった。この跡地を利用するかたちで、1583(天正11)年、秀吉は大坂城の築城を開始。総石垣による普請が行われた。工期は15年にわたったが、2年後にひとまずの完成をみる。「千畳敷」、「千畳敷の大廊下」など天下人の城ならではの威容を誇った。ただ、秀吉は関白に任じられた1585(天正13)年以降、京都に聚楽第を建設して移り住み、さらに伏見城を建て、京都を拠点とした。秀吉の晩年、大坂城は子の秀頼とその母・淀殿の居城として機能するようになる。現在見られる大坂城跡は徳川の時代に再建されたものだが、その破格なスケールの城郭を見ると、秀吉の時代もしのべる。
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大阪城天守閣
住所|大阪府大阪市中央区大阪城1-1
Tel|06-6941-3044
開城時間|9:00~18:00(最終入館17:30)
休城日|12月28~1月1日
料金|1200円
www.osakacastle.net
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text: Tetsuya Uenaga
2026年4月号「地域の“旬”感へ」



































