豊臣秀吉・秀長が攻略した名城5選
|豊臣兄弟ゆかりの城
これまで秀吉が主役になることはあったが、2026年はその弟・秀長が脚光を浴び、大河ドラマで主役を務めている。そこで、歴史著述家である上永哲矢さん監修のもと、下層身分から天下人へと上り詰めた豊臣兄弟たちの活躍を追いながら、ゆかりの「城」を解説。今回は、 豊臣兄弟が攻略した名城群をご紹介!
兵庫《竹田城》
1577年 秀長が陥落させた天空の城

写真提供=兵庫県朝来市
中国地方攻めにおいて、豊臣兄弟が最初の攻略目標にしたといえるのが、この竹田城だ。秀長の但馬攻略の狙いは、銀を産出する生野銀山だったともいわれる。竹田城は生野銀山を管理する役割を担っていたという。
城主は太田垣輝延(山名家重臣)という武将である。秀長はまず支城の岩洲城を攻略し、その余勢を駆って攻略した。ただ、その様子はあまり詳しく伝わっていない。3日間の戦闘が繰り広げられたとも、秀長が攻めてくると城主の太田垣は即刻退散してしまったともいう。攻略した竹田城には秀長が「城代」として一時在城。城代とはいえ、もはや立派な城主である。しかし秀長は落ち着く間もなく有子山城攻めなど、中国地方攻略を進めなければならなかった。
現在の竹田城跡は、立雲峡や藤和峠からの眺めが雲海に浮かぶように見えることから「天空の城」と呼ばれる。円山川から上る霧のためだが、天気や時期にも左右される。江戸時代初期に廃城となり、以後約400年を経ているが、石垣がほぼ完全な状態で残り、山城としての規模は日本屈指といえる。
竹田城跡
住所|兵庫県朝来市和田山町竹田古城山169
Tel|079-674-2120
開城時間|季節により異なる(要問い合わせ)
休城日|1月4日~2月末
料金|500円
www.city.asago.hyogo.jp/site/takeda
兵庫《三木城》
1578年 「三木の干し殺し」と
呼ばれる攻城戦の舞台

毛利輝元につくか、織田信長につくか。中国地方の大名たちは決断を迫られた。播磨の三木城城主・別所長治は、当初は信長に味方を約束しながら毛利に鞍替えした。
これに対し、秀吉は三木城の周辺の城を落とし、包囲を狭めていく。力攻めを控えて周辺の補給路を封鎖し、兵糧攻めを行った。途中、摂津国・有岡城の荒木村重が謀反したことで中断されたが、その間も包囲は続けられ、2年後の1580(天正8)年、三木城は降伏・開城した。城内は水も食糧も底を尽いていた。この秀吉の兵糧攻めは「三木の干し殺し」として伝えられることになる。
姫路城の東約31㎞の地にある交通の要所に築かれた三木城。本丸は標高61m。城跡は公園化されており、建物はないが遺構はよく残る。本丸跡には別所長治の石像や、当時の井戸がある。
みき歴史資料館
住所|兵庫県三木市上の丸町4-5
Tel|0794-82-5060
開城時間|9:00~17:00(最終入館16:30)
休城日|月曜(祝日の場合は翌平日休)、
祝日の翌日(翌日が土・日曜の場合は開館)、12月28日~1月4日
料金|無料
www.city.miki.lg.jp/site/mikirekishishiryokan
兵庫《有子山城》
1580年 いくつもの時代の石垣が残る山城

秀吉の弟・秀長が竹田城を攻め落とし、城代になった後に攻略したのが、この有子山城だ。
城主は山名祐豊で、此隅山城や垣屋城を拠点としていたが、羽柴軍の攻撃で次々と攻め落とされた。そのため、1574(天正2)年、新たに有子山に城を築いて守りを固めた。それが有子山城である。だが1580(天正8)年、秀吉は三木城を落城させ、秀長が有子山城を攻めた。このとき祐豊は病によって、城内で没し、息子の氏政は因幡へ敗走した。そのためか抵抗も少なく、有子山城は落ちた。
あっさりと落城した印象の有子山城だが、標高321mの急峻な山に築かれた城。山頂まで約1時間、迫力ある石垣や堀切を鑑賞しながら登山を楽しめる。山麓には出石城跡(江戸時代に築かれた城)があり、合わせて訪問できる。
有子山城跡
住所|兵庫県豊岡市出石町伊木1
開城時間|24時間
休城日|なし
料金|無料
鳥取《鳥取城》
1581年 2万の大軍で兵糧攻めを展開

三木城が落城した翌年、一度は攻め落とした因幡(現在の鳥取県東部)の鳥取城が反旗を翻した。家臣団が城主の山名豊国を追放し、毛利一族の吉川経家を迎え入れて新たな城主として立てたのだ。
秀吉は、これも兵糧攻めにした。鳥取周辺の兵糧を買い占め、徹底して糧道を断った。籠城は4カ月に及び「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び……」(『信長公記』)という惨憺たる有り様。「鳥取の飢え殺し」と呼ばれ、秀吉の二大兵糧攻めとして伝わる。
鳥取城は兵糧攻めの後、近世城郭へ改修。当時の建物はないが、石垣が残り、戦国の名城らしい面影がある。特に「巻石垣」と呼ばれる球状のかたちに積まれた石垣は一見の価値あり。
鳥取城跡
住所|鳥取県鳥取市東町2
開城時間|24時間
休城日|なし
料金|無料
岡山《備中高松城》
1582年 水攻めの最中に起こった本能寺の変

中国地方攻略を進める秀吉は、備中(現在の岡山県西部)に進んだ。毛利の勢力範囲でもあり、本腰を入れて守りを固めていた。備中高松城もそのひとつだった。この戦いには秀長も参加していた。三番備えとして5000人を率いており、羽柴軍では最大の兵力といわれる。
ここで秀吉が敢行したのが水攻め。1582(天正10)年5月初旬(現在の5月下旬)、雨で川が増水するタイミングで大規模な堤防を築き、城の大半を水没させた。三木城、鳥取城に次ぐ兵糧攻めだ。ひと月が経ち、城方が戦意を失っていた頃、京より「本能寺の変」の知らせが届く……。
現在、城らしい面影はあまり残っていないが、本丸の跡に清水宗治の首塚や供養塔、水攻め堰堤の跡などが残り、戦いをしのべる。
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備中高松城址(備中高松城址資料館)
住所|岡山県岡山市北区高松558-2
Tel|086-287-5554
開城時間|10:00~15:00
休城日|月曜(祝日の場合は開館)、12月28日〜1月4日
料金|無料
text: Tetsuya Uenaga
2026年4月号「地域の“旬”感へ」































