TRADITION

愛知《犬山城》
最強・徳川家康との対決
|豊臣兄弟ゆかりの城

2026.6.7
愛知《犬山城》<br> 最強・徳川家康との対決<br>|豊臣兄弟ゆかりの城

これまで秀吉が主役になることはあったが、2026年はその弟・秀長が脚光を浴び、大河ドラマで主役を務めている。そこで、歴史著述家である上永哲矢さん監修のもと、下層身分から天下人へと上り詰めた豊臣兄弟たちの活躍を追いながら、ゆかりの「城」を解説。今回は、愛知県犬山市にある「犬山城」をご紹介!

上永哲矢(うえなが てつや)
歴史著述家/紀行作家。各種雑誌やウェブサイトに歴史コラムを寄稿。著書に『戦国武将を癒やした温泉』(イカロス出版/山と溪谷社)、『三国志 その終わりと始まり』(三栄書房)など。

《1584年》
小牧・長久手の戦いの本陣

天守は外観3重、内部は4階、地下2階という構造で望楼型天守と呼ばれる。天守台石垣は5mもあるため見栄えがいい。東の犬山橋から木曽川を挟んだ眺めも非常に美しい
写真提供=国宝 犬山城

1583(天正11)年4月、秀吉柴田勝家を北陸(北ノ庄城)で討ち、さらには織田信孝(信長の三男)を自刃に追い込んだ。もはや織田政権の枠組みを脱した秀吉に対し、反発する者がまだいた。信長の次男・織田信雄と、実力者・徳川家康であった。

翌1584(天正12)年3月、信雄と家康は尾張の小牧山城に本陣を構え、秀吉は大坂城から尾張の犬山城へ移動し、本陣を置いた。「小牧・長久手の戦い」の開戦である。

室町時代に築城された
日本最古ともいわれる現存天守

尾張国と美濃国の境にあり、木曽川沿いの高さ約88mの丘陵に築かれた平山城。小牧・長久手の戦いで大垣城主・池田恒興が信雄方から奪取し、ここに秀吉も入城し拠点とした。江戸時代には尾張藩の支藩となり、天守が築かれ、その天守が現存。国宝指定を受けている。姫路城と同じく現存12天守・国宝五城のひとつだ
写真提供=国宝 犬山城

秀吉は家康の本拠地・岡崎城(現在の愛知県)の急襲を考え、羽柴秀次、池田恒興、森長可らを出陣させる。ところが、この動きは家康に読まれ、恒興、長可は長久手において待ち伏せされ戦死してしまう。秀吉の目論見は崩れ、持久戦の様相を呈した。焦った秀吉は信雄の拠点・長島城攻撃の構えを見せ、信雄と強引に講和に持ち込んだ。こうなると家康も戦争を継続する大義を失い、戦いは終わった。局地戦で手痛い敗北を喫し、家康強しの印象を天下に知らしめたが、最終的には秀吉が政治的圧力で勝利に持ち込み、2年後には家康も秀吉の軍門に降る。そんな大戦の歴史舞台となった城だ。

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写真提供=国宝 犬山城

犬山城
住所|愛知県犬山市犬山北古券65-2
Tel|0568-61-1711
開城時間|9:00~17:00(最終入城16:30)
休城日|12月29日~31日
料金|1000円
https://inuyama-castle.jp

text: Tetsuya Uenaga
2026年4月号「地域の“旬”感へ」

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