香りの歴史 〈江戸時代②〉
庶民にも広がった世俗の香り
平和な260年で、お香は誰もが楽しむ時代に

日本は1400年以上の歴史をもつ香り大国。貨幣経済を握った町人が香文化を手にした江戸時代。吉原遊廓や歌舞伎で話題の伽羅は、長屋暮らしの庶民も憧れる香りだった。
監修=稲坂良弘
「日本香堂ホールディングス」特別顧問、脚本家・演出家。
1575年に京都で創業の「香十」前代表。香の伝道師として知られ、『香と日本人』など著書や講演・講座も多数。
香道を嗜む人の広がりで
組香という香り遊びが発展

香りの世界を飛び越えた
52通りの香りの組み合わせを『源氏物語』にちなんだ名称と図柄で表した源氏香。その図柄は、上の絵の右上にある幾何学的な模様のことで、5本の縦線の上部を52通りの横線でつなぐ。そのデザインは、着物、蒔絵、うつわなどの意匠として香りの世界以外でも広く使われている
香蝶楼豊国『椎本(源氏香の図)』/国立国会図書館デジタルコレクション
香りの文化が庶民にまで一気に広がったのが江戸時代。260年余りにわたる平和な時代は、鎖国によって文化が内向きに爛熟する。そして戦がなく報酬が増えないことで武家の力は弱まり、公家も金銭面に困窮していった。
そんな中勢いを強めたのは貨幣経済を握る富裕商人だ。金やモノを采配していた豪商たちは貴族や大名、武家が所持していた香木をその財力で手に入れて、その香りと文化を賞玩した。
お香に親しむ層が、町人へと広がったことによって、門人が増えて香道は盛んになっていく。やがて季節に対応した香り当てゲームのようなさまざまな「組香」遊びが確立。有名なのは平安浪漫にあふれる源氏物語をテーマとする「源氏香」だ。その組香のために生まれた源氏香の図柄は、お香の世界を飛び超え、着物や帯の意匠としても人気を博した。
江戸初期の香道発展に貢献したのが後水尾天皇と和子皇后だ。徳川秀忠の娘である和子が入内したことで、諸芸道を盛り上げる宮廷サロンが開かれた。またお香好きな和子は、多くの伽羅を携えて入内。組香「五月雨香」をつくるなど熱心に香道に取り組んだという。
歌舞伎、出版、浮世絵で
香り文化が大衆化していく

絵や本を通して庶民へと広がる
遊女もお香は必需品。ご贔屓客からいただく伽羅を着物に炷きしめて優美な香りをまとわせていた。江戸の絵師・宮川長亀による『遊女聞香図』では、着物にお香を焚きしめる女性が描かれ、足元に香炉をおき、胸元へ燻らせて薫衣香をする姿にも見える
宮川長亀『遊女聞香図』/ColBase
江戸のはやりを描いた浮世絵にも香席や聞香を描いたものが多く、人々がお香を嗜む様子が描かれた。
またお香は歌舞伎を盛り立てる存在にも。吉原の太夫と御家秘蔵の香木がからむ伊達家騒動の実話に倣った『伽羅先代萩』や伽羅で啖呵をきって喝采を浴びる『助六由縁江戸桜』、開幕に蘭奢待が登場する『仮名手本忠臣蔵』など、市民を沸かせる演目には伽羅が登場した。文化発祥の地であった吉原もお香は欠かせないものであり、遊女の言葉でお金より価値があるものを「伽羅の字」といったとか。

江戸の風俗文献『守貞謾稿(もりさだまんこう)』では江戸初期に京で伽羅油を売りはじめ、江戸は寛文年間よりはじまったと記載。当初は若衆や遊女が使っていたが町人に広がる。商品の格を上げるために伽羅油とし、販売した
岩瀬百樹編撰『歴世女装考』/国立国会図書館デジタルコレクション
浮世絵、歌舞伎、出版などの江戸文化によって、香木に縁のない庶民も伽羅の価値や素晴らしい香りという知識だけはもっていた。当時、伽羅油という鬢付け油が売れていた。伽羅ではなく丁子で香りづけをしたものだったが、伽羅の香りを知らない江戸っ子は喜んで買い求めたとか。人々の伽羅への興味や憧憬がよくわかる。
江戸のお香文化は、遊楽を通して大衆文化になっていった。
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西洋の香水文化との出合い
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07|江戸時代①
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text: Yukiko Mori illustration: Takayuki Ino
2025年5月号「世界を魅了するニッポンの香り」