TRADITION

香りの歴史〈平安時代①〉
平安貴族の香り文化「薫物」とは?
貴族がファッションのように香りをまとう

2025.5.3
香りの歴史<small>〈平安時代①〉<br>平安貴族の香り文化「薫物」とは?<br>貴族がファッションのように香りをまとう</small>

日本は1400年以上の歴史をもつ香り大国。日本の自然観や美意識を取り込んだ国風文化の高まりによって、平安貴族は日本独自の雅な薫物をつくり上げた。平安時代の「貴族の薫物文化」とは?

監修=稲坂良弘(いなさか よしひろ)
「日本香堂ホールディングス」特別顧問、脚本家・演出家。
1575年に京都で創業の「香十」前代表。香の伝道師として知られ、『香と日本人』など著書や講演・講座も多数。

国風文化の機運が高まり
日本独自の香りの文化へ

平安京へと都が移った平安時代。この頃中国は大唐帝国が弱体化し、菅原道真によって遣唐使も廃止される。それまで積極的に受け入れてきた中国の大陸文化は、日本の感性や美意識に見合った国風文化へと置き換えられていく。

このことは香りにも大きな影響をもたらした。仏教文化として取り入れてきた祈りや信仰の香りは、権力を手にした平安貴族によって自己表現や遊びのための香りへと変容を遂げていく。
また平安時代の香りは、お香そのものではなく鑑真によってもたらされたとされる「合香」の技を発展させた「薫物たきもの」が主流となる。貴族はこぞって、香木や漢方材料を調合して自らの香りを追求。その香りを、いまのルームフレグランスように「空薫物そらだきもの」といって、室内で焚いて愉しんだ。

よい香りを身にもまといたいと、伏籠という道具を使って着物へ香りを移す「薫衣香くのえこう」が流行。さらに白檀や丁子の香りを移した絹糸で衣を織る「香染こうぞめ」も。香りから色を生み、色を衣として、また香りを立たせて楽しんだ。

また紙や扇などの暮らしの道具にも香りを移して愉しんだ。自分の香りを焚きしめた紙で恋の歌を交わしたというのだからなんと優雅なことだろう。平安貴族にとって香りは自己表現の手段であり、コミュニケーションツールとしても位置づけられていたのだ。

薫物合わせが描かれた 『源氏物語』
三十二帖「梅枝」で光源氏が愛娘の成人祝いに命じた薫物が届けられた場面。上段の真ん中の盆には、朝顔の君が手掛けた薫物の黒方(紺硝子壺)と梅花(白硝子壺)が描かれている。大和絵画家の土佐光吉は、「源氏絵」を多く残している
土佐光吉『源氏物語絵色紙帖 梅枝 詞日野資勝』/ColBase

日々の暮らしはもちろん、節句や祝賀の儀には、何カ月も前から香材料を手配して、調合や製法にも工夫を凝らし、腕によりをかけて薫物をつくり上げた。ご自慢の薫物を美しい香壺に収めて贈り物にも。また自慢の薫物を競わせた「薫物合わせ」も貴族の間で頻繁に行われていた。

何百種もの薫物がつくられる中、後世に残った優れた香りの代表が「六種むくさの薫物」。四季になぞらえた6種類の薫物は、平安期に実在した有名人たちの自作の処方として、香書『薫集類抄くんじゅうるいしょう』に残っている。

line

薫物のレシピが 記載された 「薫集類抄」
平安末期に編纂された薫物の研究書。実在した有名人たちの実際の処方記録であり、調合方法などを詳細にまとめている。六種の薫物も記録され、つくり手ごとに調合する材料や分量に違いがあることが見て取れる
「薫集類抄」/国立公図書館蔵

 

〈平安時代②〉
宮廷サロンが香りの文化を開いていく

 
≫次の記事を読む

 

text: Yukiko Mori illustration: Takayuki Ino
2025年5月号「世界を魅了するニッポンの香り」

京都のオススメ記事

関連するテーマの人気記事