香りの歴史〈鎌倉~戦国時代②〉
織田信長は伝説の香木「蘭奢待」で
天下統一を世に知らしめた!?

日本は1400年以上の歴史をもつ香り大国。武家が権力を握った戦国の世は、香木を賞玩する時代へ。心を鎮めて意識を覚醒させる武家のお香は聞香の姿へと結ばれる。「香道」が花開いた、鎌倉〜戦国時代の香り文化とは?
監修=稲坂良弘(いなさか よしひろ)
「日本香堂ホールディングス」特別顧問、脚本家・演出家。
1575年に京都で創業の「香十」前代表。香の伝道師として知られ、『香と日本人』など著書や講演・講座も多数。
お香の力で天下人として
名を知らしめた織田信長

室町から戦国にかけて、かの蘭奢待が大いに世間を賑わした。1465(寛正6)年、足利義政は勅許を得て蘭奢待を截香し、天皇家に献上した上で、自らが造営した東山山荘(後の慈照寺銀閣)にて伝説の名香を燻らした。
そして蘭奢待で天下統一を世に知らしめたのが戦国武将・織田信長だ。1574(天正2)年、天皇の勅許を得て、足利義政と変わらぬ寸法で蘭奢待を截香。ちなみに信長は、正倉院のほかの香木も閲覧したといわれている。手に入れた蘭奢待を炷いて歓び、さらに小さく切り出して、「国を選ぶか、香を選ぶか」と手柄を挙げた配下にたずねたともいわれている。このエピソードが「一国一城より一片の香木に価値あり」の伝説となって、世に知られた。
香木が注目された時代だが、鎌倉時代の後伏見天皇は、香りの文化史や六種の薫物を香書にまとめて薫物文化を残している。いまでは薫物は練香として、日本の感性や自然観を映す茶道の世界に400年にわたって息づいている。

東大寺・正倉院御物。目録上の名は「黄熟香(おうじゅくこう)」。全長156㎝、最大径40㎝以上の大きさ。蘭奢待の銘は室町時代からその名で呼ばれる。截香した足利義政、織田信長、明治天皇の名がその箇所に付けられている
「黄熟香」/正倉院正倉蔵
日本独自の文化「香道」がはじまる

武家へと香り文化が広がった室町時代は、お香に親しむ人々が大きく増加。そこで室町幕府の8代将軍・足利義政は、公家の三條西実隆と足利家の同朋衆の志野宗信とともに、お香を体系化して芸道へ昇華させるきっかけをつくった。
後に香道には、和歌に通じた古典学者・三條西実隆を香祖とした御家流と、志野宗信を初代とする志野流、ふたつの流派が誕生した。ちなみに御家流の特徴は、華麗な蒔絵の香道具や伸びやかで闊達な作法。まさにお香に遊ぶ公家文化を反映していた。対して志野流は、規範の中に自らを律する精神鍛錬としてのお香。こちらは武家文化を体現するものだった。
香道発祥の時期には、香りの文化人は炷くだけでは飽き足らず、沈香木の分類をしはじめる。そして産地名を参考に分類した6種類の香木と、香りを5つの味で分類した「六国五味」を完成させる。香道の香りの基本として、いまに受け継がれている。
室町時代のお香ブームにひと役買ったのは、風狂の僧として生きた一休宗純だ。お香に造詣の深い一休は、中国の詩人・黄庭堅によるお香の効用を記した漢詩「香十徳」を広めたと伝えられる。
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後伏見天皇(在位1298~1301年)
香りの文化史や処方の詳細をまとめた『後伏見院宸翰薫物方(ごふしみいんしんかんたきものほう)』や『薫集類抄』により、平安時代の香りを現代に復活させることが可能に。
佐々木道誉(生1296~没1373年)
鎌倉時代末期から南北朝時代の武将。派手な姿と豪傑ぶりで婆娑羅大名として知られ、花見で1斤(600g)もの伽羅を焚いた。香木コレクターであり「百八十種銘香」が残る。
一休宗純(生1394~没1481年)
室町時代の大徳寺の高僧。第100代の後小松天皇の落胤とも伝えられる。中国の漢詩「香十徳」を広く伝えたとされる。詩歌、狂歌、書画に優れお香にも造詣が深い。
足利義政(生1436~没1490年)
室町幕府第8代将軍。武家文化と公家文化、禅文化を融合させた東山文化を築く。茶道、華道の芸道とともに、香道の基となる活動を行う。蘭奢待を慈照寺銀閣で炷いたとされる。
志野宗信(生1443頃~没1523年頃)
室町中期の香道家。足利将軍家の6代から8代まで仕えた同朋衆。志野流の初代。足利義政、三條西実隆とともに香道の祖型づくりに貢献。志野流の2、3代目が形式化する。
三條西実隆(生1455~没1537年)
室町時代の公卿。和歌、書道、有職に通じた古典学者。御家流の香祖と呼ばれる。天皇家からの信頼も厚く、「古今伝授」の継承、和歌や文学について天皇へ御進講も。
織田信長(生1534~没1582年)
安土桃山時代の武将・大名。畿内を中心に独自の中央集権を確立して天下人に。茶道を非常に好んだ。足利義政に倣って、至宝・蘭奢待を截香。政治権力の手段として活用した。
木村重成(生年不明~没1615年)
豊臣秀頼の家臣。大坂夏の陣の出陣前夜に、妻と別れの盃を交わし鎧兜にお香を焚きしめた。首実験の際、優雅な香りをまとった若武者の覚悟に徳川家康も涙した。
徳川家康(生1542~没1616年)
江戸幕府の初代将軍。漢方薬マニアであり天下統一以後、伽羅を求めて東南アジアへ朱印船貿易に乗り出すなど、香木収集に情熱を注ぐ、薫物の調合書『香之覚』、『香合等覚書』を記す。
1本の香木をめぐった逸話「一木四銘」とは?
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07|江戸時代①
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10|香りのキーワード
text: Yukiko Mori illustration: Takayuki Ino
2025年5月号「世界を魅了するニッポンの香り」