【漫画】香りの歴史〈平安時代②〉
源氏物語に残る香りの文化
宮廷サロンから香り文学が生まれる

日本は1400年以上の歴史をもつ香り大国。日本の自然観や美意識を取り込んだ国風文化の高まりによって、平安貴族は日本独自の雅な薫物をつくり上げた。平安時代の「貴族の薫物文化」とは?
監修=稲坂良弘(いなさか よしひろ)
「日本香堂ホールディングス」特別顧問、脚本家・演出家。
1575年に京都で創業の「香十」前代表。香の伝道師として知られ、『香と日本人』など著書や講演・講座も多数。
漫画で読み解く“香りの歴史”





華やかな宮廷サロンが
香りの文学を開いていく
藤原一族が摂関家として権力を振るった一条天皇の時代は、中宮定子や中宮彰子の華やかな宮廷サロンの最盛期。中宮に仕える才能豊かな女房が集い、歌詠みや薫物合わせを繰り広げた。そんな中、雅な香りをまとった文学作品が次々に誕生する。
宮中生活や日々の“をかし”を描いた随筆『枕草子』は、中宮定子に仕えた清少納言によるもの。一人部屋でお気に入りの香りを焚いて楽しむことや、好きな香りを移した着物を着ることは、心が安らぐと、お香の使い方や愉しみ方を繰り返し述べている。

中宮彰子に出仕した紫式部は、世界最古の大長編作品『源氏物語』を執筆。“もののあはれ”という情趣や哀愁の物語は、豊富な香知識に支えられている。光源氏が若紫にはじめて出会った五帖「若紫」には、ルームフレグランスである空薫物、仏に捧げる名香、光源氏が衣から漂わせる高貴なる御追風という3つもの香りが重なり合う。
また、薫物がドラマチックに描かれるのが三十二帖「梅枝」だ。光源氏は、愛娘・明石の姫の成人祝いに、紫の上、朝顔の君、花散る里、明石の上の4人に薫物をつくらせる。光源氏は完成した薫物で薫物合わせを行うのだが、薫物は4人の女君たちの性格や心情、願望などを見事に表わしているのが印象的だ。特に産みの母・明石の上が手掛けた薫衣香には、身分違いのために自身では育てられなかった成人した娘をせめて香りで抱き締めたいとの思う母の切ない愛が読み手に伝わってくる。
国風文化の高まりや薫物文化は香りの文学を開かせたのだ。
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香りを着物に移すために使用する籠や木の枠型の道具。伏籠の内側にお香を炷いた香炉を置き、着物を掛けて薫じた。自らの好きな香りを着物へと移すだけではなく、防虫効果の期待などもあったといわれている。写真は江戸時代のもの
「牡丹唐草蒔絵伏籠」/ColBase
菅原道真(生845~没903年)
宇多天皇や醍醐天皇に仕え右大臣まで務める。遣唐使の廃止を進め、国風文化の発展に貢献。詩歌に秀でて学者、漢詩人として名を残す。崇敬の対象となり天満宮に神として祀られる。
一条天皇(在位986~1011年)
第66代天皇。藤原兼家、藤原道隆、藤原道長と藤原氏全盛時代の天皇。中宮定子や中宮彰子とともに、和歌や香り、文学などのさまざまな平安文化を発展させた。
中宮定子(生971~没1000年)
藤原道隆の娘であり、一条天皇の皇后。清少納言などの才女を周囲に置いて、宮廷サロンの礎を築く。清少納言は中宮定子の人柄や教養に感銘を受けたと『枕草子』に記している。
中宮彰子(生988~没1074年)
藤原道長の娘。女流作家の紫式部や和泉式部、赤染衛門などと文芸サロンを築いた。紫式部は中宮彰子を、美しい黒髪をもつ奥ゆかしい美人、とその日記に残している。
清少納言(生966頃~没1025年頃)
平安時代中期の女房であり歌人・作家。清原元輔の娘。中宮定子の女房として出仕。定子の恩寵を受けて随筆『枕草子』を執筆。知的な感覚美である“をかし”を追求した。
紫式部(生没年は諸説あり)
平安時代中期の女房であり歌人・作家。中宮彰子に出仕。豊富な香知識をもって香りの文学『源氏物語』を執筆。江戸時代、物語を題材にした組香「源氏香」がつくられた。
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10|香りのキーワード
text: Yukiko Mori illustration: Takayuki Ino
2025年5月号「世界を魅了するニッポンの香り」