秋の北海道・阿寒湖紀行【中編】
ユーカラ堂、前田一歩園財団…
阿寒湖アイヌコタンのキーマンを訪ねる
紅葉シーズンの阿寒湖を訪れたライターの大石始さんと写真家の鈴木優香さん。前編では「まりも祭り」とその背景にあるアイヌの精神をレポートしてくれたが、今回はアイヌコタンにまつわる4組にインタビュー。さらにディープに阿寒湖のカルチャーに迫ってもらった。
「ロスト・カムイ」の背景にあるもの
演出家/木彫作家 床州生さん
最初にお話を伺ったのは、阿寒湖アイヌシアター「イコㇿ」の舞台監督を務めるほか、体験型ナイトウォーク「カムイルミナ」にも関わる床州生さん。州生さんはアイヌコタンの劇団で演出家を務めていた父・床ヌブリさんの代から続く木彫り店「ユーカラ堂」も経営している。
州生さんがイコㇿの舞台監督をはじめたのは8年前。「でも、何かが上手くいかない。知識もなくて、中途半端だった」というそのときの反省を踏まえ、いまや「イコㇿ」の代表的演目となった「阿寒ユーカラ ロストカムイ」を映像クリエイターや音楽家たちと立ち上げた。アイヌ民族の古式舞踊と現代舞踊、3DCG、7.1chサラウンドが融合したその作品世界は、道外でも高い評価を得ている。
「いままでの作品はアイヌコタン側がクリエイターに『こういうことをやりたい』と依頼することが多かったんですよ。そうやってつくられたもので驚いたことがなかった。でも、『ロストカムイ』ができたときには想像を遥かに超えたものができたので、自分でも驚きました」
「ロストカムイ」はアイヌ民族の精神性を土台にしているが、すべてを現代のテクノロジーで表現しているわけではない。そこでは「変えていいもの・変えてはいけないもの」が明確に意識されている。
「クリエイターにはやりたいことをやってもらいながら、そこをジャッジするのが僕の仕事だったんです。たとえば、歌の節や踊りの所作は絶対に変えてはいけない。写真家・ヨシダナギさんの撮影による宣伝写真は明治時代につくられたアイヌの衣装を二風谷から借り、鮭の皮の靴を自分たちでなめしてつくったうえで、真冬の阿寒湖の氷上で撮影を行ないました」
アイヌのものづくりと歌
下倉洋之さん・絵美さん夫妻
次に話を伺ったのは、下倉洋之さん・絵美さん夫妻だ。神奈川県出身の洋之さんは、アイヌのモチーフを取り入れた作品で知られる彫金作家。一方の絵美さんは、妹の富貴子さんとともにアイヌ音楽デュオ「Kapiw&Apappo(カピウ&アパッポ)」として活動。お二人が営む「cafe & gallery KARIP」は美味しいコーヒーが飲める店として人気を集めている。
洋之さんの代表作の一つが、熊の手をモチーフにしたリング。アイヌ模様を意識したデザインが施されている。
「オートバイで遊びまわっていた20年前、友人が『阿寒湖に木彫りの熊をつくるすごい人がいるから行ってみたら?』と教えてくれたんです。子どものころから工芸品が好きだったんですけど、実際に見てみたら圧倒されてしまって。熊の手のリングはそういう中で出てきたものだと思いますね」(洋之さん)
絵美さんはアイヌ民族の伝承家として道外でも精力的な活動を行なっている。アイヌの伝承歌を歌ううえで大切にしていることとは? ――そんな質問に対し、絵美さんはこう語ってくれた。
「私たちが大切にしているのは、歌の景色です。風景の歌を歌うときにはその風景を思い浮かべるし、カムイの歌だったらカムイに対して歌う。どこに向かって歌うのか意識しています。舞台で歌うときは、観に来てくれた人たちの後ろ側に向かって歌っているような感覚があります。集まる人の数だけ背景があって、生きてきた土地がある。観に来てくれた人の背後にいる『何か』が聴いているかもしれないわけじゃないですか? 歌ってそういう繋がりの中で共有できると思うんですよ。
よく私たちの歌を聴いて『懐かしい』と言われることがあるんですけど、不思議な気持ちですよ。しかもアイヌの歌を知らない方からそう言われる。その共鳴する感覚って不思議ですよね。私もそれが何なのか知りたくて歌い続けているんです」(絵美さん)
アイヌコタンの味
郷右近好古さん・富貴子さん夫妻
三組目は、郷右近好古(ごううこん よしふる)さん・富貴子(ふきこ)さん夫妻。おふたりはアイヌコタンで民芸喫茶「ポロンノ」を経営。アイヌ民族の家庭料理を元にしたメニューが訪れる人々を魅了し続けている。また、富貴子さんは先に登場した絵美さんとともに音楽活動も行なっている。
ポロンノが開店したのは40数年前のことだ。
「木彫りの傍で、母が飲み物やアイヌの団子を出しはじめたんです。そうしたらライダーや旅人の間で噂がクチコミで広がっていって。そのうちに木彫りのスペースがだんだん減っていき、アイヌ料理屋になっていました」(富貴子さん)
夫の好古さんは岩手県出身。富貴子さんの家に伝わってきたレシピを参考にしながら、ポロンノならではの家庭料理を提供している。
「アイヌの食文化といっても沿岸部と内陸部で違うんですが、共通する特徴としては、大量にとれて保存が効くものを組み合わせた郷土料理ということですね。鮭や鹿、あとは白米というよりは雑穀。昆布、木の実、山菜。明治以降だとじゃがいもを使うようになります。
彼女の家庭で代々伝わってきたアイヌ料理のつくり方をなるべく変えたくないんです。たとえばオハウ(温かい汁物)は縄文時代から何も変わらないつくり方ができますし。ただ、それだけじゃなく、伝統的なお団子の生地でピザをつくったりと、伝統的な調理法をアレンジした料理もお出ししています」(好古さん)
阿寒の森を守り、受け継ぐ
前田一歩園財団 新井田利光理事長
阿寒湖アイヌコタンは1959(昭和34)年、(一財)前田一歩園財団の前身、阿寒前田一歩園の三代目園主である前田光子(まえだ みつこ)さんがアイヌの人たちに所有地を無償提供したことからはじまった。光子さんはもともと宝塚歌劇団に所属。阿寒前田一歩園の二代目園主の妻となったことで阿寒湖での人生を歩みはじめた。安い賃金で雇われて厳しい生活をしているアイヌの人たちの姿に心を痛め、土地を提供したといわれている。
アイヌコタンの人たちは光子さんのことを「ハポ(母)」と呼んだ。アイヌコタンのハポは、観光開発のため東京からやってきた企業がいくら面会を求めても、決して会おうとしなかったという。前田一歩園財団の新井田利光(にいだ としみつ)理事長はこう話す。
「光子の基本的な考えとしては、美しい阿寒の森を守りながら地元の人たちと素晴らしい街をつくりたいというものがあった。東京からやってきたディヴェロッパーに好きに開発させない、という強い意志があったんだと思います」(新井田さん)
前田一歩園の名は初代園主、前田正名(まえだ まさな)さんの座右の銘「物ごと万事に一歩が大切」から取られている。まさに一歩一歩の積み重ねによって阿寒湖の環境は守られてきたのだ。
「300年前の森に戻すというのが我々の大きな目標なんです。一度人の手が入っているので原生林には戻せませんが、これから200年300年に渡って前田光子の精神とともに、この森を守っていかないといけないんです」(新井田さん)
自然の中にいられる喜び
第1回|大自然とアイヌ文化に出合う夏 前編 後編
第2回|秋は祭りや儀式で阿寒湖をより深く体験 前編 中編 後編
第3回|冬の阿寒湖でアイヌ文化と豊かな風土にふれる 前編 後編
text=Hajime Oishi photo=Yuka Suzuki