北海道・阿寒湖でアイヌの美意識に触れる。
一つひとつの作品の中に自然への敬意を刻み込むアイヌのものづくり。その源泉に触れるべく、冬の阿寒湖を訪れました。
アイヌのものづくりの聖地
「阿寒湖アイヌコタン」
阿寒摩周国立公園の西部に位置する阿寒湖温泉に、アイヌのものづくりの聖地といえる場所があります。それが数多くの民芸品店が立ち並ぶ阿寒湖アイヌコタン(集落)。ここでは36戸・約120人が暮らしながら、民芸品の制作と販売を行っています。中でもアイヌのスピリッツに溢れる3名の作家と民芸品店をご紹介。
「模様の細かさは豊かさ」木彫作家・瀧口健吾
瀧口健吾さんは、父・政満さんがアイヌ木彫の代表的な作家で、健吾さんは子どもの頃から父がものづくりに励む姿を間近で見ながら育った。
「僕も幼い頃から何かをつくるのは好きだったんです。一度酪農の仕事をやったこともあったけど、やっぱり自分でも彫りたくなって、ここに戻ってきてしまった」
健吾さんが作家として木彫りに本格的に取り組むようになったのは、政満さんが亡くなった2017年以降だという。「父は『何でも好きなものを彫りなさい』というスタンスだった。ただ、刃物の研ぎ方は教えてくれましたね。最初は研いだ刃物を見せても『ここがダメだ』、『ここもダメだ』。何も言われなくなったとき、これでいいんだとようやく思いました」
アイヌ民芸品の多くは、もともと日々の暮らしの中でつくり出されてきたもの。アイヌは木彫の生活用具にも細かな文様を刻み込み、大切に使い続けてきた。
「文様を加えることで、生活の豊かさを表したんじゃないかと思うんですよ。細かいものを彫る時間があるということは、かつてはすごく豊かなことだったんです」
健吾さんはアイヌ文様を刻み込んだ生活用具だけでなく、フクロウやクマをモチーフにした置物もつくっている。こうした動物はアイヌにとって神さまであり、そこにはすべてのものに魂が宿るというアイヌの精神性が息づいている。
「父が彫り続けていたので、僕もフクロウには思い入れがあるんです。フクロウを彫るにしても人工漆を塗ってみたりと、いろんな実験をしています」
健吾さんはアイヌ文化も学んでおり、アイヌの伝統儀式である「カムイノミ」にもかかわっている。
「アイヌ語を勉強していると、地名の由来がわかってくるんです。アイヌの民具は桂の木でつくられているものが多いんですが、アイヌ語で桂の木は『ランコ』。札幌の西のほうにある蘭越町(らんこしちょう)には桂の木がたくさん生えているんですけど、それで『ランコウシ』と呼ばれていたんです」
ところで、健吾さんは普段どんなことを考えながら木彫りをしているのだろうか。
「『こんなものをつくろう』というイメージをもって作業を続けていると、いつの間にかできているんです。それぐらい没頭しているということなんでしょうね。彫りたいものが頭の中に浮かんでくると、いまでも注文の商品よりもそっちを優先してしまう(笑)」
健吾さんのものづくりを支えていたのは、「つくりたいものをつくる」という純粋な欲求。今日も「イチンゲの店」から健吾さんが木を彫り出す音が聴こえてくる。
「刺繍には物語が宿る」刺繍作家・西田香代子
ひとつの着物に迷路のような文様を縫い込むアイヌ刺繍の世界。その伝承者であり、『西田香代子のテケカラペ』などの作品集を通じてアイヌ刺繍の文化を紹介してきた西田香代子さん。北海道出身の西田さんはもともとアイヌ文化と接点はなかったが、阿寒湖の漁業組合で事務員をしているときにアイヌ文化の継承者である西田正男さんと結婚。正男さんのお母さんから「マタンプシ(鉢巻き)」をつくる手伝いを頼まれ、アイヌ刺繍をはじめた。
「ウチのばあちゃんはもちろん、近所に住んでいた(アイヌ文化の指導者として活躍した)小鳥サワさんもいろいろ教えてくれました。着物の縫い方や山菜の採り方など、本当にいろいろ」
アイヌ刺繍の基本パターンは、棘のような「アイウシ」という模様と、「モレウ」というゆるやかな曲線で構成されている。そこに作家の個性が加わることで、世界でひとつだけの着物が出来上がる。
かつて刺繍の材料として使われていたのは、木の内皮やイラクサなどすべて自然のものだった。西田さんは古いアイヌ刺繍を複製する作業も続けており、その際は昔ながらの材料を使用するという。
「(アイヌ文化研究の第一人者である)北海学園大学の藤村久和先生にアイヌの想いを教えられたんです。木はアイヌ語でシリコロカムイと呼び、根っこで大地を支える神でもある。そんな神さまの一部を使わせてもらうのだから、材料も大事にしなくちゃいけない。そういうことを教わりました」
アイヌ刺繍は一針ひと針につくり手の想いが詰まっており、ひとつの着物には物語が描き出されている。「それはつくった人しかわからないけど」と前置きした上で、西田さんはこう続ける。
「でも、自分で糸からつくると、昔の人たちの想いもわかるでしょ? 昔の人の想いやエネルギーを知ることができるから私は複製をするんです。古い着物って曲線ひとつ見てもつくり手さんの気持ちが伝わってくる。優しい線を見るとこの人は優しい人なんだろうなって。だから私も心が穏やかなときしか針を持たないんです」
西田さんがそうした複製作品の中でもお気に入りのものを見せてくれた。
「伊沢オヤエさんという女性がつくったもので、この人の模様は素晴らしいんです。赤くなっている部分が何を意味しているか最初わからなかったんだけど、あるとき阿寒湖を車で走っていたら、松の花が赤くなっているのが見えた。なるほど、あの模様はあの花を表していたんだとわかって。この模様を考え出した人は本当に素晴らしいと思う」
そして西田さんはこう続ける。
「アイヌの世界は本当におもしろいの」
西田さんが複製した作品の一部は、まもなく白老町に開館する「ウポポイ(民族共生象徴空間)」でも展示される予定だという。西田さんの一針ひと針にもまた、アイヌから受け継いだ想いと美学が詰まっている。
阿寒湖の風土が生んだ未来の工芸彫金作家・下倉洋之
アイヌ文様をモチーフとするシルバー・ジュエリーを製作する下倉洋之さん。神奈川県横浜市生まれの下倉さんは、紆余曲折を経て阿寒湖へたどり着いた。
両親が北海道出身だったこともあり、下倉さんは幼い頃から北海道を訪れていたという。家にはアイヌの絵本やレリーフが並び、趣味は子どもの頃から伝統工芸品集め。ものづくりに対する関心も高かったため、十代のうちから独学でジュエリーづくりをはじめ、後に東京の彫金学校へ入学。1998年に卒業して工房に入った。
「翌年の頭にこれ(熊のリング)がポコッとできたんです。子どもの頃から見ていた木彫りのクマが影響しているのか、自然とこういうものができたんです」
下倉さんが阿寒湖をはじめて訪れたのもその年だった。そこで彼はアイヌの木彫作家たちによる木彫り作品に衝撃を受ける。
「阿寒湖のスーパースターである木彫作家・藤戸竹喜さんの熊の木彫りを見て『これは一体なんなんだ!?』と衝撃を受けてしまって。やばいところにきたなと思いました。だって、藤戸さんや瀧口政満さんみたいに世界で勝負できる工芸家が一カ所に集まってるわけだから」
’99年には作家としての活動をスタート。阿寒湖温泉出身の絵美さんと結婚した後、2013年には阿寒湖温泉への移住を果たす。
「阿寒湖には’99年以来毎年行ってたし、行けばものすごい刺激をもらえることはわかってたんだけど、自分が住むとは思っていなかった。憧れが強過ぎて、畏れ多かったんです。でも、住んでみて大正解でした。すごい人たちの足跡にいつでも触れられるし、自然環境も素晴らしいですし」
下倉さんはジュエリーづくりに対する想いをこう話す。
「なぜジュエリーづくりにここまでハマっているのか、その答えをアイヌ文化からもらった気がしているんです。アイヌの服にしても生活用品にしても文様がしっかり入ってますけど、決して権威をひけらかすためのものではない。もっと柔らかくて深いものであって、日々の生活に馴染むものでもある。そこが自分の趣向とマッチしたんだと思います」
昨年、下倉さんはアトリエの一角にカフェを開いた。そこにはさまざまな人々が訪れ、下倉さんと何気ない会話を交わす。もともとバイクで北海道をめぐっていた彼は、マウンテンバイクで雪山を駆けめぐることにも熱中している。「阿寒湖、本当に楽しいんですよ」と話すその表情からは、下倉さん自身が阿寒湖での生活を楽しんでいることが伝わってくる。
「僕がやっているのは伝統的なものではないし、僕の創作でもあるのでアイヌの伝統工芸ではないけど、ひとつの切り口になるんじゃないかと思ってます。金工も阿寒湖の工芸の柱になっていけたらうれしい」
アイヌ文化からインスパイアされた下倉さんのジュエリー。そこには未来の伝統工芸になりうる可能性が秘められている。
住所:北海道釧路市阿寒町阿寒湖温泉3-8-15
Tel:0154-64-1728
営業時間:11:00〜17:00
定休日:月・火曜
http://karip.life
アイヌ工芸品の数々を
つくり手の物語とともに紹介!
今回紹介した作家を含む、阿寒湖のアイヌ工芸作家の作品やものづくりに挑むストーリーを、記事・ムービーで発信中。家族や地域の先人から考えや想い、技術を受け継ぎ、新たなものづくりに挑む工芸作家の姿に注目し、アイヌの美意識を感じてください。
https://akanainu-next.jp/
文=大石 始
写真=田附 勝
2020年4月号 特集「いまあらためて知りたいニッポンの美」