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北朝初代「光厳天皇」
|20人の天皇で読み解く日本史

2021.2.19
北朝初代「光厳天皇」<br><small>|20人の天皇で読み解く日本史</small>
『大日本史料. 第6 編之25』国立国会図書館

126代目の天皇が誕生した2019年。今も昔も日本の歴史は天皇がつくってきたといっても過言ではありません。天皇に焦点を当ると、これまでとは違う日本の姿が見えてくるはず。今回は、126代の天皇の代数に数えられない北朝の初代天皇、光厳天皇を紹介します。

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北朝初代 光厳天皇(こうごんてんのう)
生没年|1313–1364年
在位|1331(19歳)–1333(20歳)年
父|後伏見(ごふしみ)天皇
母|西園寺寧子(さいおんじねいし)
妻|三条秀子(さんじょうひでこ)

歴代天皇に数えられない
北朝の初代天皇

討幕に失敗して隠岐に流された後醍醐天皇に代わって鎌倉幕府に擁立された光厳天皇。鎌倉幕府の滅亡後は廃位されたが、建武新政が崩壊し後醍醐の求心力が弱まると、足利尊氏によって光厳の弟、光明天皇が即位。

尊氏は、後醍醐天皇からは賊軍扱いとされていたが、光厳上皇を引き合いに出し、天皇よりも権威の高い上皇の命令があったと主張し、賊軍にならずに済んだという。

その後、光厳は治天の君として15年間院政を続けたが、南朝に連れ去られ幽閉された。

こうして天皇も元号もそれぞれに存在するという内乱時代が、半世紀にわたって続くこととなる。

現在、幕府側が擁立した光厳はじめ光明、崇光、後光厳、後円融の5代の天皇は北朝天皇とされ、126代の天皇の代数には数えられていない。これは、南朝の天皇である後村上、後亀山などを正統な天皇と認める、江戸時代の歴史書『大日本史』に沿った考えで、明治時代から続く意向である。

Point1
二人の天皇、ふたつの元号が併存する南北朝時代

国内を二分する内戦状態が57年もの間続いた南北朝時代。これほど長く続いた背景には、正統VS異端の構造ではなく、どちらも相応の正統性があったことが考えられる。武家や公家もおのおのの思惑で分裂し、南朝についたり北朝についたりを繰り返したからこそ、内戦状態が長く続いたのだろう。

Point2
二度廃位された悲運の天皇

鎌倉幕府に擁立された光厳天皇は、幕府滅亡により後醍醐天皇に廃される。その後足利尊氏によって室町幕府が開かれ、光厳天皇は上皇となるが正平一統によって北朝が廃止。光厳は南朝に幽閉された。

読了ライン

〈天皇ゆかりの地〉
光厳法皇が隠棲した寺
「常照皇寺」

常照皇寺
住所|京都府京都市右京区京北井戸町丸山14-6
Tel|075-853-0003

 

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supervision: Hirofumi Yamamoto text: Akiko Yamamoto, Mimi Murota illustration: Minoru Tanibata
Discover Japan2019年6月号「天皇と元号から日本再入門」

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