【漫画】第82代「後鳥羽天皇 (後鳥羽上皇)」
|20人の天皇で読み解く日本史
126代目の天皇が誕生した2019年。今も昔も日本の歴史は天皇がつくってきたといっても過言ではありません。天皇に焦点を当ると、これまでとは違う日本の姿が見えてくるはず。今回は、天皇主権を取り戻すべく討幕を図った、後鳥羽天皇を紹介します。
第82代 後鳥羽天皇(ごとばてんのう)
生没年:1180–1239年
在位:1183(4歳)–1198(19歳)年
父: 高倉天皇
母: 坊門殖子(ぼうもんしょくし)
妻: 九条任子(くじょうにんし)
鎌倉幕府倒幕のため
承久の乱を起こすも完敗
一大勢力を築いた平氏は、朝廷を無視して独裁政権を開く。これに対し後白河上皇は、高倉天皇の子・後鳥羽天皇を即位させる。平氏擁する安徳天皇と後白河が立てた後鳥羽天皇の2天皇が並立する、空前の事態となる。その後、源義経に破れ平氏は壇ノ浦で滅亡。安徳天皇は海に沈み、三種の神器のうち草薙剣も海に沈んで失われた。
後白河上皇が崩御すると、後鳥羽天皇は親政を進める。鎌倉幕府3代将軍源実朝が暗殺されると、後鳥羽天皇と幕府の関係は悪化。幕府が自分の意に沿わないことに不満を抱き、幕府執権である北条義時の追討を命令し、承久の乱(1221年)を起こす。しかし、北条政子の呼びかけに団結した幕府軍に完敗。後鳥羽は、隠岐に流された。乱後は、朝廷の所領を幕府に没収されるなど、朝廷の権威を著しく失墜させてしまった。
Point1
皇室の菊花紋の起源とされる「菊御作」
武芸に優れた後鳥羽天皇は、自ら刀剣を焼いて近臣に与えた。菊を好み、刀剣や衣服を菊で飾っていたことから、皇室の菊花紋の起源といわれる。
〈天皇ゆかりの地〉
息子順徳天皇の御陵と並んで埋葬
「後鳥羽天皇御陵(大原陵)」
承久の乱で隠岐に配流された後鳥羽天皇は、同じく佐渡に配流された息子の順徳天皇とともに、大原の里にある「大原陵」に眠っている。
後鳥羽天皇御陵(大原陵)
住所|京都府京都市左京区大原勝林院町
http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/
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supervision: Hirofumi Yamamoto text: Akiko Yamamoto, Mimi Murota illustration: Minoru Tanibata
Discover Japan2019年6月号「天皇と元号から日本再入門」