第59代「宇多天皇」
|20人の天皇で読み解く日本史
126代目の天皇が誕生した2019年。今も昔も日本の歴史は天皇がつくってきたといっても過言ではありません。天皇に焦点を当ると、これまでとは違う日本の姿が見えてくるはず。今回は、初の「関白」を設け「親政」を行った宇多天皇を紹介します。
第59代 宇多天皇(うだてんのう)
生没年:867–931年
在位:887(21歳)–897(31歳)年
父: 光孝(こうこう)天皇
母: 班子女王(はんしじょおう)
妻: 藤原温子(ふじわらのおんし)
はじめて「関白」を設け
親政を行い、譲位後に出家
父の光孝天皇には多くの子がいたため、宇多天皇は臣籍に降ろされていた。臣籍から復帰して即位した初例であり、当初は権威に欠ける天皇だったことから、藤原基経に関白という新しい官職を任じた。関白は政治の案件に許可を出す立場で、基経の権威はますます強化された。また、基経は詔にあった「阿衡」という言葉に文句をつけ、「阿衡とは実権のない名誉職だ」として出仕をボイコットした(阿衡の紛議/887年)。この事件は、詔の起草者・橘広相に対する抗議だった。広相の娘は宇多天皇の最初の妻で、二人の親王が産まれていたことから基経は自分の権威を保つためにも広相を蹴落とす必要があったのだ。
基経の死去後、宇多天皇は自らの権限で政治を進める「親政」を行う。その右腕となったのが菅原道真だ。藤原氏の勢力を抑えて親政を行うことは平安時代の理想形であり、後世「寛平の治」と称された。譲位後は仁和寺で出家。日本で初の法皇となった。
Point1
歴代天皇としてはじめて退位後に出家し「法皇」に
退位後に出家した天皇は上皇ではなく法皇と呼ばれる。平安時代初期には、空海によって日本にもたらされた密教が流行。加持祈祷によって現世利益を求める真言宗は、多くの皇族から信仰された。天皇の位にあった人物が密教の最高位である阿闍梨となって修行した事例は宇多天皇と後宇多天皇の2例のみ。
Point2
親政を開始し、菅原道真を抜擢
宇多天皇は菅原道真を側近として親政を進める。遣唐使の中断も道真の進言によるもので、敦仁親王(後の醍醐天皇)の立太子も自己の退位も、道真にのみ内意を示したという。譲位の際には『寛平御遺誡』を残し、道真を重く用いるよう諭した。帝王のあるべき姿や学問について書かれたこの書は後世の天皇の指南書となる。
Point3
光孝天皇の意思を継ぎ、宇多天皇の時代に完成した仁和寺
現在は真言宗御室派の総本山となっている仁和寺。宇多は譲位後仁和寺で出家し、門跡(皇族出身の住職)となった。以後、仁和寺は皇族関係者が門跡となる門跡寺院として受け継がれる。
〈天皇ゆかりの地〉
平安時代の優美な舟遊びを再現した
車折神社の例祭
「三船祭」
芸能の神社として有名な「車折神社」。三船祭はその車折神社の例祭で、毎年5月の第3日曜に行われる。起源は、宇多上皇が嵐山へ御幸した際に、大堰川で舟遊びを楽しんだこととされる。船上では詩歌や管弦、舞楽が披露される優雅な舟遊びを再現したもので、嵐山の渡月橋上流付近で開催。
車折神社の「三船祭」
住所|京都府京都市右京区嵯峨朝日町23
Tel|075-861-0039
www.kurumazakijinja.or.jp/goyuisyo.html
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supervision: Hirofumi Yamamoto text: Akiko Yamamoto, Mimi Murota illustration: Minoru Tanibata
Discover Japan2019年6月号「天皇と元号から日本再入門」