第119代「光格天皇」
|20人の天皇で読み解く日本史
126代目の天皇が誕生した2019年。今も昔も日本の歴史は天皇がつくってきたといっても過言ではありません。天皇に焦点を当ると、これまでとは違う日本の姿が見えてくるはず。今回は、未曽有の飢餓に大英断を下し、幕府政治に重大な影響を与えた人物、光格天皇を紹介します。
第119代 光格天皇(こうかくてんのう)
生没年|1771–1840年
在位|1779(9歳)–1817(46歳)年
父|典仁親王(すけひとしんのう)
母|岩室磐代(いわむろいわしろ)
妻|欣子内親王(よしこないしんのう)
現在の皇室まで続く
閑院宮家の皇統のはじまり
後桃園天皇が22歳の若さで皇子もなく崩御したことにより、世襲親王家の閑院宮家から即位したのが光格天皇だ。当時9歳だったため、後桜町上皇が指導にあたった。傍系の立場だったことから天皇になるための教育を受けておらず、理想の君主像を模索することに。その結果、強い皇統意識を抱き、朝廷の権威復活を図ろうと幕府にも強い態度で臨んだ。
1787年、いわゆる「天明の大飢饉」により、一揆や打ちこわしが起こる。幕府に不信感を抱いた民衆は京都で「御所千度参り」を実行。これに対し、後桜町上皇はりんご3万個を配ったという。さらに光格は、朝廷が幕府の方針に口出しをしないという規定を破り、施し米を配ることを提案。これを受けて幕府は1000石の救い米を放出したという。江戸幕末には、天皇の感情が政治的に大きな意味をもつことになることから、この案件は幕府政治に重大な影響を与えた。光格は幕府にとっても無視できない存在となっていった。
Point1
上皇陛下(明仁)以前では最後の譲位を行った
上皇陛下(明仁)は、200年前の光格天皇の譲位の事例について、以前から宮内庁に調査を依頼されたという。譲位後権力から遠ざかった光格天皇の譲位は、上皇陛下(明仁)のイメージに近いものだったのかもしれない。
〈天皇ゆかりの地〉
光格天皇遺愛の仁和寺の茶室
「仁和寺 飛濤亭(ひとうてい)」
仁和寺の境内にあり、光格天皇好みで遺愛の席と伝えられる、わびを極めた茶室。にじり口の代わりに貴人口が設けられている。
仁和寺 飛濤亭(ひとうてい)
住所|京都府京都市右京区御室大内33
Tel|075-461-1155
www.ninnaji.jp
読了ライン
≫次の記事を読む
日本1700年の流れがよくわかる!
20人の天皇で読み解く日本史
・歴史を動かした20人の天皇
・第26代 継体天皇
・第38代 天智天皇
・第40代 天武天皇
・第45代 聖武天皇
・第50代 桓武天皇
・第59代 宇多天皇
・第66代 一条天皇
・第72代 白河天皇
・第77代 後白河天皇
・第82代 後鳥羽天皇
・第88代 後嵯峨天皇
・第96代 後醍醐天皇
・北朝初代 光厳天皇
・第100代 後小松天皇
・第106代 正親町天皇
・第108代 後水尾天皇
・第119代 光格天皇
・第121代 孝明天皇
・第122代 明治天皇
・第124代 昭和天皇
supervision: Hirofumi Yamamoto text: Akiko Yamamoto, Mimi Murota illustration: Minoru Tanibata
Discover Japan2019年6月号「天皇と元号から日本再入門」