三種の楽器で見極める女心
「壇浦兜軍記」阿古屋と重忠
おくだ健太郎の歌舞伎キャラクター名鑑
名作歌舞伎を彩る個性豊かなキャラクターを、歌舞伎ソムリエのおくだ健太郎さんが紹介。今回取り上げるのは、源平合戦後の取り調べの緊迫感を華麗に描く「壇浦兜軍記」に登場する遊君の阿古屋と侍の重忠です。
おくだ健太郎
歌舞伎ソムリエ。著書『歌舞伎鑑賞ガイド』(小学館)、『中村吉右衛門の歌舞伎ワールド』(小学館)ほか、TVなどで活躍。http://okken.jp
大きな戦争の後には、東京裁判、ニュルンベルク裁判のように、戦後処理や責任追及の法廷が設けられます。勝者が裁く側、敗者が裁かれる側で、そこには、さまざまなせめぎ合いや人間模様が展開されます。
こういう硬質な題材を、歌舞伎は、美しい音楽劇に描いています。ヒロインは、阿古屋。京都の清水寺の門前町のくるわ・五條坂の遊君です。
阿古屋は、平家のつわもの・景清と深い仲で、身籠もっています。親子3人での平和な、楽しい暮らしを待ち望んでいますが、いとしの景清は、平家が源氏とのに敗れたっきり、行方知れずになってしまいました。
ご無事だろうか、どこにいるんだろうか……寂しさと不安を胸いっぱいに抱えた阿古屋は、気の毒なことに、源氏が京都の堀河で開いたお白洲に連行されてしまいます。景清のありかを知っているはずだ、白状せよ、と問い詰められるのです。
阿古屋は、本当に何も知らないんです。知らないどころか、景清の行方を、安否を、誰よりも一番知りたいのは、阿古屋なのです。だのに、わからずやの役人は、吐け! の一点張り。責め道具をたくさん持ち出して、これでせっかんしてでも聞き出してやるぞ、とすごみます。
ところが——取り調べ役のもう一人の侍・重忠は、様子が違う。阿古屋の表情を丁寧にうかがい、一言ひと言に誠実に耳を傾けてくれるんですね。
そして、こんな取り調べをはじめます。阿古屋は立派な遊君だから、音曲の演奏も得意なはずだ。これからこの場で、琴、三味線、胡弓、をそれぞれ演奏させよう。その音色に「曇り」がなければ、彼女の心にも偽りはなく、景清の行方を本当に知らない、と判断しよう、というまことにユニークで上品な詮議です。
重忠からの急な要求に、阿古屋は戸惑いますが、3種類の楽器を、ひとつずつ、心を込めて演奏します。琴と三味線は、自ら歌いながら弾きます。景清の名前が詞にちりばめられていたり、しとねで肌を重ねたときの甘美な思い出をつづったり……耳を傾ける重忠の胸にも、さまざまな情感を生じさせていきます。
そして、胡弓の曲は、鶴が子育てをするさまを、切ない調べにのせて描くものです。まるで阿古屋は、おなかに宿した子に語りかけるように、一心不乱に音を紡いでいきます……。
さあ、重忠は、いかなる判決を下すのでしょうか……。
text=Kentaro Okuda illustration=Akane Uritani
2020年1月号 特集『武田双雲 いま世の中を元気にするのは、この男しかいない。』