よくわかる!歌舞伎の基礎知識Q&A
知っているようで知らない歌舞伎の世界。「歌舞伎俳優はみんな御曹司?」「芝居中に客席から聞こえる成田屋!中村屋って?」「歌舞伎の内容にジャンルはあるの?」そんな素朴な疑問にお答えします。
解説
花道会
歌舞伎を愛好する団体として、平成20年に代表・塚田圭一氏によって発足。観客の立場から歌舞伎を支え、その普及と振興を掲げ活動している。
Q.歌舞伎って誰が見ていたの?
A.もともと庶民の娯楽です
江戸時代、歌舞伎は庶民の熱狂的な支持を受け、役者の声色(物まね)教室までできるほどの人気を博した。芝居見物となれば、行く前に周囲へ吹聴してうらやましがらせ、行ってきたら芝居の内容を語って聞かせ、また自慢するというのまで、芝居見物の楽しみのひとつだったほど、誰もが「見たい!」と熱望する娯楽だった。しかし芝居小屋はお上からは「悪所」と呼ばれ、武士階級は足を踏み入れてはならないところ。つまり歌舞伎は身分ある者のものではなく、あくまでも下々のための娯楽だったのだ。だが芝居小屋には、ほかの客から顔が見えないように御簾のかかった席も用意され、武士階級の者も出入りしていた。
歌舞伎が高尚になったのは明治以降。外国からの賓客に見せるようになったのがきっかけだった。日本の国威を示すために、芝居小屋は絨毯敷きの立派な劇場になり、「悪所」の歌舞伎が「世界に誇る日本の芸術」として、扱われるようになる。華族階級も堂々と劇場に来られるようになり、身分の上下なく誰もが楽しめる、日本を代表する娯楽になったのだ。
Q.歌舞伎俳優はみんな御曹司なの?
A.そうとも限りません
主役級の俳優の多くは、先祖代々歌舞伎俳優という御曹司がほとんど。だが現在世界を舞台に活躍している五代目坂東玉三郎や、六代目片岡愛之助のように、御曹司でなくても才能と努力でトップクラスに上り詰める俳優も、ごくわずかだがいる。
そのほかは歌舞伎俳優に直接弟子入りをするか、国立劇場に付属する伝統芸能伝承者養成所に入り、芸を学んできた俳優たち。こちらはいわゆるその他大勢。セリフがつかない役も多いが、いまや歌舞伎俳優の約3割は、伝統芸能伝承者養成所出身者であり、歌舞伎が好きで仕方がないという、情熱あふれる彼らが一生懸命演じている。スターは歌舞伎の華。だが華を支える彼らなくして、歌舞伎の舞台は成り立たないのだ。
Q.成田屋!中村屋!って何?
A.歌舞伎俳優の屋号です
江戸時代、芝居小屋が「悪所」と呼ばれたことからもわかるように、当時は、歌舞伎は上品で高尚なものではないとされ、幕府から蔑まれていたため、歌舞伎俳優の身分は低かった。そこでご贔屓筋が「せめて商人の身分に」と、彼らに店を持たせてくれたのだ。お世話になったご贔屓筋の名前などを店名(屋号)にしたため、俳優の名字とは違うことが多い。
ちなみに中村勘九郎・七之助の家は屋号も「中村」だが、これは先祖の出身地の地名を使ったもの。それがたまたま名字と同じ中村だったのだ。
〈主な屋号一覧〉
明石屋(あかしや)|大谷友右衛門家
音羽屋(おとわや)|尾上菊五郎家・坂東彦三郎家
澤瀉屋(おもだかや)|市川猿之助家
紀伊国屋(きのくにや)|澤村宗十郎・田之助家京屋(きょうや)|中村雀右衛門家
高麗屋(こうらいや)|松本幸四郎家
高砂屋(たかさごや)|中村梅玉家
高島屋(たかしまや)|市川左團次家
瀧乃屋(たきのや)|市川門之助家
橘屋(たちばなや)|市村羽左衛門家
天王寺屋(てんのうじや)|中村富十郎家
中村屋(なかむらや)|中村勘三郎家
成駒屋(なりこまや)|中村歌右衛門家・中村鴈治郎家
成田屋(なりたや)|市川團十郎家
播磨屋(はりまや)|中村吉右衛門家
松嶋屋(まつしまや)|片岡仁左衛門家
三河屋(みかわや)|市川團蔵家
山城屋(やましろや)坂田藤十郎家
大和屋(やまとや)坂東三津五郎家
萬屋(よろずや)|中村歌六家
Q.襲名って何?なぜ名前が変わるの?
A.いわば出世魚のようなものです
襲名とは、大先輩の名前をもらうこと。多くは親子代々で名を継ぐ。襲名する名前は、かつて芸と人気でその名を知られた、先人たちのものなので、その名を受け継ぐということは、その名に恥じない実力を身につけたか、あるいは今後身につけると見なされたということになる。襲名は一度ではなく、大きくなるたびにイナダ→ワラサ→ブリと名が変わる出世魚のように、二度三度と段階を経て最高位の名前を継ぐ。
〈中村歌右衛門家の場合〉
中村歌右衛門←芝翫←福助←児太郎
〈中村勘三郎家の場合〉
中村勘三郎←勘九郎←勘太郎
〈市川團十郎家の場合〉
市川團十郎←海老蔵←新之助
〈尾上菊五郎家の場合〉
尾上菊五郎←菊之助←丑之助
Q.歌舞伎の内容にジャンルはあるの?
A.大きくは四つに分けられます
1.時代物
平安時代や鎌倉時代、室町時代が物語の舞台になった、江戸時代の時代劇。現代の時代劇を見てもわかるように、時代物は勇ましい武士などが活躍する、ヒーローものが多い。江戸時代、圧倒的に男性の人口が多かった(※途中からは女性も増えた)江戸では、こうした格好いい男が活躍する時代物が大人気だった。
2.世話物
しみじみした夫婦や親子の情愛、恋人同士の結ばれぬ恋などを描いた作品群。いわば江戸時代の現代劇だ。ハッピーエンドものもあるが、特に人気が高かったのは、上方では「心中物」。いまの昼メロのような作品が、女性たちのハートをわしづかみに。江戸では「白浪物(盗賊が主人公)」が人気だった。
3.所作事
舞踊劇のこと。ほとんどセリフがなくて、踊りの振り付けで気持ちを表現する作品だ。ストーリーの内容は長唄、、など演奏する人たちが歌う、歌詞に組み込まれている。美しい情景や勇ましい動きなどが見どころになっていて、続き物の錦絵をめくっているような楽しさがある。
4.新作歌舞伎座
明治以降につくられた作品を指す(明治以降を新歌舞伎、第二次世界大戦以降を新作歌舞伎と分ける説も)。菊池寛の『籐十郎の恋』、長谷川伸の『一本刀土俵入』、三島由紀夫の『鰯売恋曳網』などが有名。最近では蜷川幸雄、野田秀樹や宮藤官九郎ら、別ジャンルの劇作家も、歌舞伎の新作を書いている。
Q.江戸歌舞伎と上方歌舞伎の違いって?
A.江戸はヒーロー物、上方は恋愛物です
江戸歌舞伎の大スターは「荒事」と呼ばれる勇壮な作品を得意とする市川團十郎。一方、上方歌舞伎の大スターは「和事」と呼ばれる細やかな情愛を描く作品を得意とする坂田籐十郎と、人気俳優もそれぞれ土地の好みを反映している。
人口の男女比率で圧倒的に男性が多い江戸では、マーケティング上、男性の好みが優先されるため、命がけで闘う豪傑が八面六臂の活躍をするヒーロー物、男が憧れる男の物語が大人気。一方商人が多い上方では、そういう殺伐とした物語よりも庶民生活に密着した物語、町人が主人公の恋愛物が当たる。そこで描かれるのは、愛に生き恋に死ぬ男なのだ。
Q.立役、女形はどうやって決まる?
A.最終的には本人次第です
立役とは男性を演じる俳優、女形とは女役を演じる俳優のこと。代々歌舞伎俳優という御曹司であれば、それぞれの家の芸があり、得意の役どころを演じることから、「○○家なら立役中心」、「○○家なら女形中心」(中にはどちらも演じる家もある)と、生まれた家によってどちらを演じるかは自ずと決まってくる。しかし外見や個性が家の芸と合わないという場合もあり、本人の意思で家の芸とは違う役を演じることもある。御曹司以外の俳優は、その作品ごとに、役がつけば立役でも女形でも演じる。
Q.歌舞伎十八番って?
A.市川團十郎家のお家芸です
1832年に、七代目市川團十郎が定めたもので、「歌舞伎狂言組十八番」という。初代、二代目、四代目の團十郎が初めて演じた作品の中から18作品を選んだ。『暫』、『助六』、『勧進帳』など、現代でも人気の高い作品がいろいろあり、この中の作品を市川家以外の俳優が演じることもある。
Q.スーパー歌舞伎、平成中村座って?
A.現代的演出の歌舞伎です
スーパー歌舞伎は当時の三代目市川猿之助(現二代目猿翁)が1986年に創出した新しいスタイルの歌舞伎。オペラや京劇など、ほかの演劇のよさを積極的に取り入れ、壮大な物語とスペクタクルな舞台演出で、「スーパー歌舞伎」というジャンルを確立した。代表作は『ヤマトタケル』。
平成中村座は、昨年末急逝した中村勘三郎が、江戸時代の芝居見物の楽しさを体験できるよう、当時の芝居小屋を模した仮設劇場を設営。2000年に『隅田川続俤 法界坊』を上演したのを皮切りに、仮設劇場のみならず、既存の劇場も使い、毎年のように「平成中村座」を冠した公演を行ってきた。
text:Ichiko Minatoya illusturation:Mariya
2013年4月「新しい歌舞伎入門」