TRADITION

息子を身代わりにする戦の世の無常
「熊谷陣屋」熊谷直実
おくだ健太郎の歌舞伎キャラクター名鑑

2021.3.27
息子を身代わりにする戦の世の無常<br>「熊谷陣屋」熊谷直実<br><small>おくだ健太郎の歌舞伎キャラクター名鑑</small>
(右)源義経が指揮を執る平家との戦に、息子の小次郎とともに参戦していた熊谷直実。(左)かつて義経を助けた平宗清は、弥陀六という名の石塔づくりの老人になっていた

名作歌舞伎を彩る個性豊かなキャラクターを、歌舞伎ソムリエのおくだ健太郎さんが紹介。今回は、忠義のために息子を犠牲にする武将の物語「熊谷陣屋」に登場する熊谷直実です。

おくだ健太郎
歌舞伎ソムリエ。著書『歌舞伎鑑賞ガイド』(小学館)、『中村吉右衛門の歌舞伎ワールド』(小学館)ほか、TVなどで活躍。http://okken.jp

戦争が引き起こす「最大の悲劇」。それは「戦地に駆り出された若者が、親よりも先に、命を失うこと」に尽きると思います。このことを僕に、これまでの歌舞伎観劇を通じて、これでもか、とたたき込んでくれた、染み込ませてくれた演目が、この『熊谷陣屋』という名作なのです。

『一谷嫩軍記』という作品の、一番のクライマックスにあたるくだりです。主人公は熊谷直実という武将で、源義経が指揮を執る平家との戦に、息子の小次郎ともども参戦しています。

その合戦にあたり、熊谷は、義経から、こんな相談をもちかけられていました。

「敵の若武者・平敦盛は、実は皇族の血が通った高貴な若者である。討ち死にさせないでほしい。そのためには、敦盛と同じ年格好の、おまえの息子を、身代わりにしてもらいたいのだが……」

このことを義経は、直接的な言葉・表現ではなく、桜の花を手折ることを禁じる「お触れ書き」にこと寄せて、それとなく熊谷にほのめかし、要求するのです。

実は義経は、幼い頃、雪に凍える山の中で、母とともに、敵方の平宗清という武将に、命を救ってもらったことがありました。いつかはその恩返しを、という思いを、義経は平家に対して抱いていた。旧恩を忘れないその気持ちは尊いとは思いますが、そのために、部下の息子を犠牲にする、というのは、どうなのかなぁ……。

でも、熊谷は、義経のこの要求に、応えたのです。戦の最中に、敦盛と息子の小次郎とを巧みにすり替え、敦盛になりすました小次郎と、浜辺で一騎打ち(のふり)をして、勝った熊谷が、敦盛、いや、息子の首をはねて、かちどきを上げます。後は自分たちの陣地へ首を持ち帰り、大将の義経に秘密裏に見せて確認してもらえば、この苛酷な任務は完了です。

確認作業は、熊谷の陣屋(駐屯地)で行われました。「よくぞ討ったり」と熊谷をねぎらう義経。けれどこのとき、熊谷にとって、大きな誤算が生じていました。戦場にはいるはずでなかった、熊谷の妻が、息子の安否が気がかりで、国元から来ていたのです。あまりの悲しみに首を抱きしめて泣きじゃくる妻に、熊谷、返す言葉もありません。

かつて義経の身柄を助けた宗清は、弥陀六という名の、石塔づくりの老人になっています。命を救われた敦盛の身柄は、弥陀六にゆだねられますが、熊谷は、戦の無常、武士の道の無常を悟り、頭を丸めて僧となって、一人、戦場を去っていくのです。

text=Kentaro Okuda illustration=Akane Uritani
Discover Japan 2021年4月号「テーマでめぐるニッポン」


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