若君を守る幼子の運命やいかに。
「伽羅先代萩」政岡と千松
おくだ健太郎の歌舞伎キャラクター名鑑
名作歌舞伎を彩る個性豊かなキャラクターを、歌舞伎ソムリエのおくだ健太郎さんが紹介。今回取り上げるのは、お家騒動の代表作ともいえる「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」に登場する乳母の政岡とその息子の千松です。
おくだ健太郎
歌舞伎ソムリエ。著書『歌舞伎鑑賞ガイド』(小学館)、『中村吉右衛門の歌舞伎ワールド』(小学館)ほか、TVなどで活躍。http://okken.jp
伽羅と書いて「めいぼく」と読む——香りがよくて風合いの上品な木のことです。これでつくらせた下駄を、カランコロンと軽やかに履きこなして、夜ごとお目当ての遊女に会いに、くるわへと通いつめるお殿さま。
なんともうらやましいご身分ですが、こんなことをずっと続けていたら、そのお武家の財政はガタガタになってしまいますよね。で、反対勢力がどんどんはびこってきて、お殿さまは失脚して、お家乗っ取りの悪だくみが進んで……。
いわゆる「お家騒動」を描いた歌舞伎の演目は、たいてい、このパターンです。「先代萩」はその代表作ともいえる芝居で、お殿さま失脚の後、お家の後継者に選ばれたのは、まだあどけない男の子。育ての親ともいえる乳人(乳母)・政岡の息子の千松とは、同じお乳を飲んで育った、兄弟同様の間柄です。
ただし——お家の若君と、その乳母の息子ですから、上下関係・主従関係は絶対です。いざというときには、千松は、若君の身代わりをつとめなくてはいけません。お家乗っ取り派は、隙あらばと、若君の命を狙っています。たとえば、お屋敷のお台所で、こっそり毒でも仕込まれたら、ひとたまりもありません。
用心深い政岡は、若君と千松を連れて、屋敷の奥に立てこもってしまいます。本来はお茶を点てるための道具を用いて、毎回少しずつのお米を炊いて、幼い二人に食べさせて日々を過ごす……電気コンロひとつで、食事の世話を全部まかなっているような感じでしょうか……食べたい盛りの子どもには、つらいです。でも二人とも一所懸命に、耐えて、我慢しています。鳥籠の鳥を見て気を紛らせたり、声を揃えて歌ったり、子どもなりにいろいろと工夫するんですよ。空腹が少しでも気にならないように。
狙いすましたかのように、乗っ取り派は、毒入りのお菓子の差し入れを届けにきます。「美味しそう!」と思わず手を出そうとする若君。とっさに政岡が「いけません!」と引き止めた瞬間、「これ政岡、なぜ止めるのじゃ?」と、表向きはやさしい乗っ取り派の女が、ギロリとにらみつけて、プレッシャーをかけてきます。
「若君さまがお気の毒じゃ。さぁ、なぜお菓子を勧めぬ? さぁ!」
政岡が切羽詰まったそのとき、千松がダダーっと駆け出てきて「僕が食べるー!」パクリ。途端に毒が回って悶え苦しみます。若君を守るための、おさない生命と引き換えの正念場が、いよいよはじまるのです!
text=Kentaro Okuda illustration=Akane Uritani
2019年9月号 特集『夢のニッポンのりもの旅』