その金包みに手を出すな!
「封印切」忠兵衛と八右衛門
おくだ健太郎の歌舞伎キャラクター名鑑
名作歌舞伎を彩る個性豊かなキャラクターを、歌舞伎ソムリエのおくだ健太郎さんが紹介。今回取り上げるのは、世話物の人気演目「恋飛脚大和往来」のハイライトとなる「封印切」に登場する忠兵衛と八右衛門です。
おくだ健太郎
歌舞伎ソムリエ。著書『歌舞伎鑑賞ガイド』(小学館)、『中村吉右衛門の歌舞伎ワールド』(小学館)ほか、TVなどで活躍。http://okken.jp
『恋飛脚大和往来』というお芝居のドラマが最も激しく動くくだりには、『封印切』の通称が定着しています。劇中に出てくる大枚の小判がきっちりと紙に包まれ、その封じ目には、公金のしるしの印が押してある。それを切って破る名場面にちなみます。
忠兵衛は、故郷の大和の国(いまの奈良)を出て、大坂の飛脚屋・亀屋で「養子奉公」をしています、お店にもらわれていった養子でもあり、せっせと働く奉公人でもあり……微妙な立場ですね。仕事であつかう大金を、しょっちゅう持ち抱えては、外回りの仕事で大坂の町々を出歩いています。
何百両もの大金——ただし自分勝手に使うことは許されない公金——が、自分の懐中に、現金の重みをずしんと感じさせながら、いつも、ある。こういう独特の環境に身を置いている若者・忠兵衛。そんな彼が、大坂・新町のくるわの遊女・梅川と顔馴染みになり、いつしか深く結ばれてしまった。梅川以外の遊女や女将さん、仲居など、くるわのほかのみんなも、忠兵衛の素直で優しい人柄を好ましく思っています。本来、くるわという場所は、財力が圧倒的にものをいうわけですが、忠兵衛の場合は、人としての魅力そのもので支持を得ている。ただし、悲しいかな、自前のお金が乏しい。
その反対に、いくら金を持っていようが、羽振りがよかろうが、人として男として、そこらじゅうから嫌われているお客——そういう鼻つまみ者もくるわというところには出入りするわけで、この芝居においては、八右衛門という男が、その憎まれ役を強烈な存在感で務めます。
「油虫の八っつぁん、ゲジゲジの八っつぁん、総スカンの八っつぁん……」と、さんざん悪口を言われても、この男、ふてぶてしくて鈍感力が強いというか、まるで意に介さないんですね。ワテはお金に好かれてさえいれば、それでええんや、と開き直って、自慢の金包みをこれでもかと見せびらかせて、忠兵衛にじわじわとプレッシャーをかけます。
この金で自分が、梅川を、身請け(店から、遊女の身柄を、買い取ること)したら、文句はないだろう? と忠兵衛にも店側にも、威圧感たっぷりに振る舞う八右衛門。梅川をどうしても奪われたくない、失いたくない忠兵衛、次第次第に八右衛門のペースに巻き込まれ、とうとう、懐中の金包みに手が伸びかかって……。
勝手に封を切ったり破いたりしたら、死罪は逃れられない公金。にもかかわらず、忠兵衛、こらえきれず、禁を犯してしまうのです。
text=Kentaro Okuda illustration=Akane Uritani
2019年7月号 特集『うまいビールはどこにある?』