和歌山県「道成寺」
この秋700年祭!ニッポンの芸能の聖地へ〈前編〉
和歌山随一の古刹、道成寺(どうじょうじ)は能・歌舞伎をはじめ日本の芸能史に欠くことのできない「道成寺物」のルーツ。この秋、その立役者である人物の生誕700年を記念し特別な機会がもたらされる。
道成寺のキーマン
逸見万壽丸(へんみまんじゅまる)とは?
南北朝時代、南朝の後村上天皇に仕え、その武功により紀伊国矢田庄を与えられ30数年統治。1357(正平12)年道成寺本堂を再建、さらに秘仏・千手観音像と2代目釣鐘を寄進し、約400年失われていた鐘をよみがえらせた偉人。
1000年を超える
千手観音信仰が息づく寺院
道成寺は聖武天皇の母・藤原宮子の願いにより、文武天皇が701(大宝元)年に創建した名刹である。天平様式を残す初代本尊を含め3体の千手観音像が祀られ、千手観音信仰が1300年近く連綿と続く。そんな由緒ある寺院のもうひとつの顔、それは日本芸能史に燦然と輝く「道成寺物」の舞台であり、原点という側面だ。
発端は平安時代の928(延長6)年。紀州真砂庄(和歌山県田辺市)の清姫が、東北から熊野詣でにやってきた修行僧・安珍に思いを寄せるが、裏切られたことを知るや60㎞以上も追いかけた末、道成寺の釣鐘に隠れた安珍を大蛇と化した清姫が焼き殺したという。この事件を種とした話は『今昔物語』をはじめ数々の説話集に収められ、能・歌舞伎・浄瑠璃などあらゆる芸能の題材となり、いわゆる「道成寺物」に発展。現行作品は20を超え、年間百数十公演が行われるほどの人気演目だ。
ところで「道成寺物」が起こった最初はいつなのだろう?
能『道成寺』の成立は1500年頃。その影の立役者といえる人物が逸見万壽丸だ。万壽丸は南北朝時代、紀伊国矢田庄(和歌山県御坊市と日高郡日高川町の一部)を三十数年にわたり統治。領内の神社仏閣の再興に貢献し、道成寺では本堂を再建。さらに秘仏・千手観世音菩薩と二代目釣鐘を寄進している。道成寺では安珍・清姫の事件以来、約400年鐘がなかったが、それをよみがえらせたのが万壽丸というわけだ。後にこの鐘供養を題材としてつくられたのが、清姫の亡霊が出たという設定の能『道成寺』で、これが道成寺物の嚆矢(こうし)だと考えられる。
今秋、万壽丸生誕700年を記念し、この釣鐘と秘仏・千手観音像を特別公開。「秘仏とは亡き親のように見えないところから守ってくれる存在。どうぞ大切な人とお参りし、次の開帳も一緒にお参りできるようにとお祈りください」と道成寺院主の小野俊成さん。歴史を背負った鐘とともに拝める貴重な機会、日本芸能の聖地にぜひ足を運んでみたい。
旅の前に「安珍・清姫伝説」をおさらい!
エピソードの流れを知っておくことで、道成寺を訪れたときいっそう楽しめる。物語のポイントをおさらいしよう。
特別公開
道成寺
住所|和歌山県日高郡日高川町鐘巻1738
Tel|0738-22-0543
拝観料|600円、小学生300円、小学生未満無料(入山のみは無料)
拝観時間|9:00〜17:00 ※無休
アクセス|車/阪和自動車道川辺ICから約11分、御坊ICから約11分 電車/JR道成寺駅から徒歩約9分
text: Kaori Nagano(Arika Inc.) photo: Kazuma Takigawa
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