福島「伊達ニット」の未来を拓く職人技
昨年の大型台風により大きな被害を受けた地域に焦点をあて、その地域ブランドを紹介する「令和元年台風被害復興支援応援プロジェクト」。第3回は日本のファッション業界を支えてきた、ニットの一大生産地・福島県。多彩な職人の技術と若い感性が出合って生み出された新商品で、さらなる進化を目指す「伊達ニット」のいまに迫る。
かっこいい=“伊達”な
ニットの産地、福島
福島がニットの産地となったのは、戦後間もなくのこと。もともとニットの生産工場は東京に多かった。戦争中、絹織物の生産地であり、繊維業と深いかかわりをもっていた福島にニット業者が生産拠点を移してきたこと、さらに戦後地価が上がり、東京でニット工場をもつのは不経済になったことなどから、福島は絹織物からニットの産地へと転身を遂げたのだ。
日本のファッション業界の盛り上がりに合わせ、デザイナーとともに技術開発に努めてきた福島のニット業者は、各個に独自の技術を編み出してきた。これを福島県の強みとして打ち出したのが、「伊達ニット」だ。ちなみに「伊達」は産地の中心である伊達市を表すのではなく、「かっこいい」の意味の「伊達」である。
ひとつの製法、ひとつの技法ではないので、「これぞ伊達ニット!」という特徴はひと口で表せないが、集団として「表現できないことはない」といっていいほどの多彩な技術は、無限の可能性を秘めている。
昨年、大規模な水害に遭い、工場の多くが少なからぬ打撃を被ったが、産地は前を向いて新たな商品の生産に取り組んでいる。地場産業の底力を感じさせる、高品質なニットをつくるため、今日も織機が軽快な音を立てて動いている。
未来につながるブランド力をつくる
H.P.FRANCE在籍時代から、伊達ニットのブランディングにかかわってきたプロデューサーの佐藤美加さん。伊達ニットの魅力はその技術の多彩さだが、もうひとつ佐藤さんを惹きつけているのが、産地の人の魅力だ。
「いま、全国的に地場産業の再ブランディングが行われており、私もあちこちでお声掛けいただいていますが、私たちのようなプロデューサーが来たからよくなるというものではないのです。当然ですが産地の皆さんの情熱やチャレンジ精神が不可欠。その点、伊達ニットは三品さんをはじめ、『なんとか伊達ニットを知ってもらいたい!』、『新しいことをやってみたい!』という情熱がすごい! 感度の高い人々が集う展示会「rooms」に足を運んで、コラボレーションするテキスタイルデザイナーを探し、その人のものづくりへの姿勢やアイデアを聞いて回っていた三品さんの姿に、これはおもしろいことがはじまる! と感じました」。(佐藤さん)
そのとき生まれたオリジナルブランド「NIJIIRO Camp」は、テレビ通販でも商品が取り上げられ、大人気を博したそうだ。福島県ニット工業組合の理事長でもある三品さん。伊達ニットのブランディングには福島のニット業界の未来がかかっているという。
「高度経済成長期に、日本のファッション業界も盛り上がって、我々はデザイナーさんたちが『ああいうのをつくりたい、こういうのをつくってほしい』というのに、全力で応えてきました。そこで技術はどこにも負けないほど高度に、多彩になりましたが、いつの間にか『頼まれたものをつくる』という待ちの姿勢になっていたことも否めません。でも時代は変わった。これからは私たちがデザインも含めて自分たちの発信でものづくりをして、伊達ニットを、福島のニットの魅力をアピールしていく。そのために、佐藤さんのような広い世界を知っている人の協力が欠かせません」。(三品さん)
糸の産地や編み方は千差万別。その多彩さが魅力の伊達ニット。まずは地域団体商標を目指し、知名度アップを図っている。「これだけいろんなものが編めるって、すごいこと。この技術を使って何が生まれるか楽しみです。新商品をつくるだけじゃなくて、それを定着させて、さらに進化させていかないと。三品さんが手掛けた『NIJIIRO Camp』はそろそろ次の段階に入る時期ですね」。
前へ前へと牽引する佐藤さんの要求は、生半可なものではない。三品さんは「参ったな〜」と言いつつ、仲間として伊達ニットを育ててくれる佐藤さんと、組合を挙げてともに走り続けている。
文=湊屋一子 写真=林 和也
2020年4月号 特集「いまあらためて知りたいニッポンの美」
1|長野・飯山の地酒が地域で愛される理由
2|栃木最古の酒蔵「第一酒造」の復活劇
3|福島「伊達ニット」の未来を開く職人技
4|音楽×旅館で箱根の魅力を再発見