「第一酒造」栃木最古の酒蔵の復活劇
昨年の大型台風により大きな被害を受けた地域に焦点をあて、その地域ブランドを紹介する「令和元年台風被害復興支援応援プロジェクト」。第2回は1673年に創業し、米造りとともに土地に根づいた地酒をつくり続けている栃木県内最古の酒蔵「第一酒造」。いまだ台風被害の爪痕が残る蔵に訪れ、再生の物語をうかがった。
米づくりとともに歩み
栃木の風土を宿した酒
ところどころ表面が剥がれた木の扉に掲げられた「政府指定倉庫」の看板。見慣れない言葉に足を止めていると、12代目蔵元の島田嘉紀さんが教えてくれた。「いまは物置として使っていますが、昔はここに集荷した酒米を貯蔵していたんです」。聞けば、全国の酒蔵で唯一の政府認定米麦集荷業者として、現在も米の集荷を行っているという。
栃木県の南西部、関東平野の北端に位置する佐野市で江戸時代初期から酒造りを続ける第一酒造は、創業時から米と深く関わってきた。いまでこそ冬は酒造り、夏は米造りをする〝半農半醸〟の酒蔵は珍しくないが、第一酒造は、そもそものはじまりが農家であり、3世紀半にわたって米づくりとともに歩んできた。現在も自社水田では田植えから収穫まですべて蔵人が行っている。
「自分たちで米づくりに携わっていると、農家の苦労が体感できるので、大切に扱い、自然と酒造りも丁寧になる。この米が酒になる、という蔵人たちの共通認識が酒質によい影響を与えているんです」。
「開華」はその米を原料に、木々が生い茂った関東平野の山々の古生層から秋山川を伝って最初に流れ込む佐野市のきれいな軟水で仕込む。繊細で華やかな香りと口の中で膨らむ柔らかな旨みは、地の恵みと蔵人の信念によって生み出されているのだ。
「地域の人の期待に
応える味を造り続ける」
先の台風19号は栃木県を直撃し、深夜に秋山川の堤防が決壊。蔵がある田島町内全域に濁流が流れ込んだ。現在も土砂の残る蔵に隣接された田んぼを眺めながら、蔵元の島田嘉紀さんは当日の心境を語ってくれた。「夜明けとともに蔵に訪れて、敷地内が浸水していたのを見て、唖然としました」。
最大80㎝も浸水した蔵内の中は、冷蔵庫や麹室、洗米機、火入れをするパストライザーなど数々の機器が被害を受け、まさにはじまりを迎えようとしていた冬の酒造りがストップ。「蔵を続けられないんじゃないかと途方に暮れましたね」。
そこから再起への原動力となったのが、駆けつけたボランティアたちの支援だった。酒販店や問屋、近隣住民や学生まで約600人が約40日間汚泥の撤去を手伝い、12月の初旬には酒造りが再開された。
それは長きにわたって土地に根づき、地域になくてはならない地酒として愛されてきた歴史があったからだろう。現在は国内だけでなく香港や台湾、シンガポール、北米、ヨーロッパなど各国に輸出されているが、全出荷の8割が県内という数字が物語っている。
「皆さまの支援や声援があったからこそ、こんなに早く酒造りが再開できました。今後も、何より地元の人の期待に応えられる味にこだわり続けていきたいです」。
文=藤谷良介 写真=中村彰男
2020年4月号 特集「いまあらためて知りたいニッポンの美」
1|長野・飯山の地酒が地域で愛される理由
2|栃木最古の酒蔵「第一酒造」の復活劇
3|福島「伊達ニット」の未来を開く職人技
4|音楽×旅館で箱根の魅力を再発見