福島県田村市への移住からはじまる新しい未来【後編】
「テラス石森」
働き方やライフスタイル、個々の価値観が大きく変わりつつあるいま、都市部以外の場所に生活拠点を移すことへの関心が高まっている。「移住先での暮らしや仕事の相談が気軽にでき、一緒に新しい取り組みを行える仲間がいたらいいのに」と望む移住希望者の最適解ともいえる福島県田村市の「テラス石森」。前編では、その運営や取り組み、移住者へのサポート体制などについて紹介した。後編では、実際に「テラス石森」を活用する2人にお話を伺ってみよう。
【CASE.1】添田麻美さん
大好きな福島で子どもを育て、起業する
まずは「Oval」代表の添田麻美さん。田村市に生まれ、高校卒業を機に東京へ移住。バスガイドとして働きながら充実した日々を送る中で、2009年に福島県へ戻ることを決意したという添田麻美さん。現在は「ママたちの未来をつくる」を掲げるOvalの代表理事として、テラス石森を拠点に幅広い活動を行なっている。
「東京での仕事はとても楽しかったですし、福島へ戻るにあたり特に大きな出来事があったわけではありません。ただ私は福島が大好きだったんですよね。いずれ結婚をして、子どもを産むのならば、福島で子育てがしたかった。自分が育ったように、子どもを育てたいなと思ったんです。どんな子ども時代だったかというと、兄の背中を追って山遊びばかりしていました(笑)。片手に木の棒をもって山を駆け巡ったり、木の枝に吊るしたロープにぶら下がって遊んだり、川に入ってずぶ濡れになったり。原始的な遊びですが、とても楽しかったんです。現代の感覚だと『危ない』とされてしまうことも、危ないか危なくないかの加減が子どもながらに分かるんですよ。田村市はいまでも自然と隣り合わせの環境なので、家にこもってゲームばかりするというより、外で遊ぶ子は多いですね。私の子どもも、落ち葉や木の棒を使った遊びしかしていないと思います(笑)」
子育て中の女性たちと一緒に行う“笑顔の育児”
添田さんは東日本大震災が起きた2011年に結婚し、その翌年に出産。原発事故の情報が錯綜する不安定な状況下で、はじめての子育てがスタートした。
「当時は子どもを外に連れていっていいのかすら分からず、不安でいっぱいでした。そんな中、ママと赤ちゃんが集まるベビーマッサージ教室に参加したんです。子どものために通いはじめたのがきっかけでしたが、私自身もリフレッシュできたんですね。同じ境遇のママと出会い、悩みや心配事を共有できたことで、精神的に救われたというか。私は福島で生きていくと決めていました。それならばこの土地で育児に奮闘するママたちと“笑顔の育児”をしていきたい、そのための場づくりがしたいと思い、ベビーマッサージと赤ちゃんヨガインストラクターの資格を取得して、ベビーマッサージの教室『カラコロ~福島の親子ふれあい教室~』(以下カラコロ)を開いたんです」
子育てと女性の社会進出をサポートする
カラコロは子育て中の女性たちのコミュニティの場としても成熟していき、それと比例するように、彼女たちの地域に対する本音が添田さんの耳に届くようになった。その思いを社会に届け、よりよい未来を実現するための一歩として、2018年にOvalを設立する。
「Ovalではママが活躍できる機会づくり、充実した社会生活を送るためのサポートに取り組んでいます。ママたちの声によって新しい働き方や社会とのかかわりが生まれれば、日本におけるロールモデルにもなるはず。福島から発信できることがあると思うんです。主な業務は、ベビーマッサージ教室などカラコロ時代からの子育て支援事業、出張託児サービス、自治体や企業との連携事業、そして子育て中の女性を対象とした就業サポート事業。田村市でママが働くといえば、スーパーのレジ打ちや工場勤務が中心で、職種のバリエーションが少ないんですね。そこでテラス石森を会場に、デザイナー養成講座やライター養成講座といった自宅で作業できる仕事の講座を開催しています。さまざまな働き方があるということ自体が認知されていない部分もあるので、それを知ってもらえる契機にもなれたらと思って」
Ovalが主催するイベントや講座には、田村市以外から訪れる参加者も多い。田村市の関係人口の増加は添田さん自身も肌で感じているという。そんな添田さんが近年力を注いでいるのが、「ママの防災プロジェクト」だ。東日本大震災や2019年の台風被害の経験を防災に役立てるため、防災について女性視点で学べる場や非常食づくりのワークショップなどを開催。2020年には小冊子『ママからつなぐ防災ブック』を制作し、ママカラ防災として全国各地に伝える活動を行なっている。
「田村市ないし福島のママたちの声を全国に届けたくて。甚大な自然災害に見舞われた私たちが、いかにして立ち直り、前を向いて暮らしているのかをお伝えすることで、この土地のことを知ってもらうきっかけにもなるんじゃないかなと思うんです。田村市は情報伝達や意識改革などが整備途中というか、いろいろ遅いんですね。私がOvalを立ち上げた時点でも同業の方がおらず、事業開拓がしやすい状況ではありました。それは他の業種にもいえますので、ある意味地域で新規事業を起こしたい方には最適な場所なのではないでしょうか。特にテラス石森は入居中の企業さんと情報交換ができますし、私自身も成長できる場だと感じています。田村市役所の方もフランクな方が多く、親身になって相談にのってくれますよ」
都会よりも暮らしやすく、アクティビティが豊富
田村市出身とはいえ、添田さんは東京での暮らしを7年間経験している。ここでの暮らしに不便さは感じなかったのだろうか。
「こっちは基本的に車が一人一台。私にとっては車のある生活の方が便利だったんです。スーパーでどんなに買い込んでも、車に詰め込めますしね(笑)。福島は全国で3番目に広い県ですから、いろいろな表情をもっているんですよ。田村市は自然豊かな高原地帯ですし、車を1時間走らせれば湖も温泉もある。中通り地方は福島の中間地点に位置するので、県内の観光地にも足を伸ばしやすいんです。田村市はすごくいいところですよ」
【CASE.2】大類日和さん
縁もゆかりもない土地で、夢を実現する
大類日和さんは2018年に福島県の起業型地域おこし協力隊として田村市に移住した。現在はテラス石森に入居するクリエイティブ制作会社「Shift」のグラフィックデザイナーとして活動しながら、任期終了後のための起業準備をしている。大類さんはもともと群馬県出身。田村市とは縁もゆかりもなかったという。
「僕の祖父の家は群馬県南牧村にあるのですが、ここは“消滅する可能性No.1の村”といわれるほど、高齢化問題が深刻な地域です。南牧村のために学べることがあればと、高崎経済大学の地域政策学部に進学。将来を考えるにあたり、民間側から地域づくりにかかわりたいと思い、ウェブ制作と地域の仕事の両方を行う会社に就職しました」
しかし業務内容と自身のやりたいことにズレを感じるようになり、退職を考えはじめた頃、知人の紹介でShiftの代表である久保田さんと出会う。そこでテラス石森ができることを聞き、同じタイミングで募集のあった起業型地域おこし協力隊に応募。あれよあれよという間に、大類さんは田村市に拠点を移していた。
「移住を決めたのはほぼ即決(笑)。デザイナーに転身したいと考えていたので、デザイナー職に就けるのは魅力でした。それにウェブ制作のスキルは身についていましたし、どこにいても仕事はできるなと思っていたんですね。都会は苦手なので、都市部で働くといった選択も自分の中になかったです」
田村市で行うデザインの仕事
大類さんは田村市の生産者を紹介する映像コンテンツや田村市のカブトムシ自然王国「ムシムシランド」での販促物やお土産品など、グラフィックや映像を中心にさまざまな制作を行っている。地域おこし協力隊の任期は残りわずかであるが、任期終了後のヴィジョンも明確だ。
「テラス石森にはご自身で事業を興されている方が多いので、起業に関する相談にのっていただけるんですよ。だから起業した後の筋道が立てやすいのかなとも感じています。入居企業さんからのご縁でお仕事をいただくこともありますよ。地域おこし協力隊の任期終了後はグラフィックデザイン、ウェブ制作、映像の撮影や編集などのスキルを生かした事業を行なっていく予定です。田村市ならではのお土産品となるような、プロダクトもつくりたいですね。地域のためになる仕事をしていきたいという気持ちは、学生時代からずっと変わりません」
今後も生活拠点は田村市に置く予定だという。
「田村市での生活が自分に合っているんです。移住当初からテラス石森で仕事をしていたこともあって、地域の方々が温かく受け入れてくださっているんですね。農家さんからお野菜をいただいたり、ご自宅に遊びに行って漬物をもらったり、道すがらにキュウリをいただいたこともありました(笑)」
大類さんの移住はまさに成功事例といえるだろう。そこで移住希望者へのアドバイスを聞くと、意外な答えが返ってきた。
「自分は結果として移住が上手くいきましたが、これは非常にラッキーなケース。改めて考えると、最善の行動だったとは思えません。知らない土地に『行ってみない?』といわれて、普通は行かないじゃないですか(笑)。移住を決める前にきちんと下調べをして、都会との二拠点生活などをしてみてから、定住を検討する流れの方がきっといい。田村市にはテラス石森やゲストハウスもあるので、しばらく滞在をして自分に合う環境かを見極めることもできますしね。十分なリサーチと覚悟をもったうえで、移住の決断をおすすめします」
同じ志をもつ仲間が背中を押してくれる
大類さんは現在25歳。思いがけず移住した田村市でやりたい仕事を実現し、自らの力で未来を切り拓いている。
「テラス石森の存在は大きいですね。田村市での起業を決めたのも、テラス石森があったからこそ。ここにいる方々にたくさんの刺激を受け、さまざまなことを教えていただきました。これといった特徴のない地域ではありますが、その分開墾する余白が多く残されているということ。そこにおもしろさを見いだせる人は、田村市で楽しく暮らせるのかなと思います。そういった人がもっともっと増えたら僕もうれしいですし、田村市で一緒に仕事をしていきたいですね」
text=Nao Omori