東高知の伝統と芸術に触れる旅|前編
知る人ぞ知る民間信仰「いざなぎ流」に触れる
土佐の伝統を全身で愉しむ滞在

高知観光への目的として、坂本龍馬、四万十川などがよく挙げられるが、いま注目したいのが東高知。神聖に祈る民間信仰から国民的キャラクターの聖地まで、地域に根づく伝統と芸術が魅力。前編では。香美市物部に伝わる民間信仰「いざなぎ流」に触れる、土佐の伝統を全身で体感できる《まきの宿》をご紹介。
まきの宿(高知県香美市)
香美市物部で代々続く鍛冶屋の古民家が一棟貸しの宿に。暮らすような滞在で、村の風土に息づくいざなぎ流の心を。
民間信仰「いざなぎ流」とは?

四国の南側、東西に長く広がる高知県。高知と聞いて多くの人がイメージする鰹や坂本龍馬ゆかりのスポットは中部や西部に集中している。それらももちろん魅力的だが、旅慣れたカルチャー好きに新鮮な発見を与えてくれるのが東高知エリアだ。
そのひとつが、徳島県との境の山あいにある香美市物部に伝わる民間信仰「いざなぎ流」。はじまりは定かではないが、中世ともそれ以前ともいわれている。陰陽道や修験道、神道、仏教などが混合した複雑なもの。教祖や教団などはなく、「太夫」という宗教者が師匠から弟子へ知識を教え伝承されてきた。

太夫は専業ではなく、普段はこの地で林業や農業を営んでいる。また、世襲制でもないため、希望者が師匠に弟子入りし、祭儀に同行し手伝いをしながら知識を習得し、「許し」をもらって一人前になる。太夫によって得意分野があり、複数の師匠に弟子入りしてさまざまな知識を身につけるのがよいとされているのも興味深い。
祭儀は家の神や地域の氏神の「神祭り」、山や川が荒れているときに行う「大山鎮め」などのほか、「病人祈祷」では悪霊に対して「式王子」という呪術を用いることもあるという。暮らしのさまざまな場面で、人々は太夫を通してこの地に根づく目に見えないものと交流を重ねてきたのだ。
土佐の伝統を全身で愉しむ
高知県香美市《まきの宿》

かくもユニークで奥深いいざなぎ流に触れることができる宿が、香美市物部にある一棟貸しの「まきの宿」だ。

宿主の小松麻由さんは、結婚でほかの地域から物部に移り、仕事で文化財に携わる中で同地の文化に関心を深めた。「このあたりは状態のよい古いお屋敷が多いのですが、空き家も多くもったいないと思っていて」と小松さん。物部の魅力を発信したいとも考えていた中で、家主と知り合い、築80年の古民家をリノベーションした。
「舞神楽」を鑑賞する

こうして誕生したまきの宿は、全国で舞神楽を披露している「いざなぎ流神楽保存会」と連携し、いざなぎ流舞神楽を公開している。

神さまの素性や神話がつづられた「祭文」。祈りの対象や内容によってさまざまな種類があり、神楽では祭文の言葉を唱えることも。太夫は祭文の言葉をすべて覚えなければならない
舞神楽は神々を喜ばせるためのもので、特に喜ばれるのが「祭文」を唱えることだという。祭文とは神の由来や素性などを語る昔話や神話のようなもの。太夫は基本的な7つの祭文のほか、鎮めや呪詛など数々の祭文を覚える必要があるという。


いざなぎ流に伝わる10種の舞
① 錫杖・扇の舞
② 印観の舞
③ 主祭
④ 扇の舞
⑤ 襷の舞
⑥ 太刀の舞
⑦ へぎの舞
⑧ 鉾の舞
⑨ 方神宮の舞
⑩ 弓の舞
「御幣切り」を体験する

また、祭儀に用いられる「御幣」をつくる「御幣切り」体験も人気だ。御幣とは和紙でつくる神の依り代。用途で姿やかたちが異なり、その表情は小刀一本で切り出されたとは思えないほど豊かだ。我々が体験した際は「和合の幣」という、山の神と水の神の間に置き、両神の仲を取りもつ御幣を制作した。

御幣とは?
祭儀の際に太夫が和紙を切ってつくる、神々や精霊をかたどった祭具。山の神、水神、地神、荒神など祭儀に応じて切り分けられ、その数は約200種類も! 悪い霊の侵入を阻止するものや、悪霊や呪詛を封じ込める「みてぐら」なども含まれる。複雑なかたちや神秘的なもの、愛らしいものもあり表情豊かだ。
「土佐の風土」を堪能する

「皿鉢料理」とは高知県のハレの日の郷土料理。地域により料理が異なり、山間の物部町では日持ちする締め鯖やアユなどの川魚、野菜やユズ、コンニャクを使う「田舎寿司」が特徴。1人1万2000円(要事前予約)
いざなぎ流に触れた後は、高知の郷土料理「皿鉢料理」をぜひ。鯖や山菜など地元食材で彩られた大皿を皆で囲めば、自然と食卓が賑やかになる。少人数の場合は、アユやこんにゃくを使用した田舎寿司などが盛り合わされた松花堂弁当もおすすめだ。
呪詛や魔除けも行われていたといわれ、怖いイメージをもたれがちないざなぎ流。小松さんは、「ある研究家が、いざなぎ流はさまざまな宗教をミックスしてこの地に適したかたちにアレンジしたから残ったのではと話されていて。そう考えると寛容な信仰な気がしてきて、なんだか親しみがわきませんか」と教えてくれた。のどかな集落に滞在し、祈りの文化が生まれた風土に浸ることで、その興味はきっと深くなる。

まきの宿
住所|高知県香美市物部町大栃1469-2
Tel|0887-53-9480
客室数|1棟
料金|1泊素泊まり8000円~(税・サ込)
カード|AMEX、DINERS、JCB、VISAほか
IN|16:00
OUT|10:00
夕食|和食
朝食|洋食
アクセス|車/高知自動車道南国ICから約45分 バス/JR高知駅からJR四国バスと香美市市営バスで約40分
施設|キッチン
https://makinoyado.com
やなせたかしのふるさとへ
text: Miyo Yoshinaga photo: Tomoaki Okuyama
2025年4月号「ローカルの最先端へ。」