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佐賀《名護屋城》
秀吉、最後の野望の足跡
|豊臣兄弟ゆかりの城

2026.6.8
佐賀《名護屋城》<br> 秀吉、最後の野望の足跡<br>|豊臣兄弟ゆかりの城

これまで秀吉が主役になることはあったが、2026年はその弟・秀長が脚光を浴び、大河ドラマで主役を務めている。そこで、歴史著述家である上永哲矢さん監修のもと、下層身分から天下人へと上り詰めた豊臣兄弟たちの活躍を追いながら、ゆかりの「城」を解説。今回は、佐賀県唐津市にある「名護屋城」をご紹介!

上永哲矢(うえなが てつや)
歴史著述家/紀行作家。各種雑誌やウェブサイトに歴史コラムを寄稿。著書に『戦国武将を癒やした温泉』(イカロス出版/山と溪谷社)、『三国志 その終わりと始まり』(三栄書房)など。

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《1592年》
全国の大名が集結した前線基地

城跡に建物は現存しないが、諸大名の陣跡や石垣を眺め歩くのが楽しい。丘陵の頂部に築かれた本丸は非常に眺めがよく、海の彼方に壱岐、晴れた日には対馬が見渡せる

国内統一では飽き足らず、以前から海外へと目を向けていた秀吉。その狙いは中国大陸だった。明国征伐(唐入り)のため、二度にわたって朝鮮半島へ攻め入った。朝鮮出兵(文禄・慶長の役)である。李氏朝鮮の王が秀吉による明征伐への協力を拒んだため、1592(文禄元)年に開戦。20万ともいわれる兵が海を渡った。

傍にある博物館では、瓦など城跡からの出土品を見ることができる

その拠点となったのが肥前(現在の佐賀県)名護屋城。全国の大名による割普請により数カ月で完成したそうだ。面積は約17haと大坂城に次ぐ規模を誇った。周囲には150以上を数える諸大名の陣屋が置かれ、全国から20万人もの将兵が集った。当時、建てられた5層の天守の高さは石垣から25~30mもあったと推定される。

江戸時代のはじめに廃城となったが、城跡の発掘調査が長期計画で続いており、今後の発見にも注目が集まっている。

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かつて名護屋城にあり復元された「黄金の茶室」も見ることができる

佐賀県立名護屋城博物館
住所|佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3
Tel|0955-82-4905
開城時間|9:00~17:00
休城日|月曜(祝日の場合は翌平日休)、12月29日~1月3日
料金|無料
https://saga-museum.jp/nagoya

text: Tetsuya Uenaga
2026年4月号「地域の“旬”感へ」

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