TRADITION

MAPと年表でたどる
豊臣兄弟ゆかりの城

2026.6.9
MAPと年表でたどる<br>豊臣兄弟ゆかりの城

これまで秀吉が主役になることはあったが、2026年はその弟・秀長が脚光を浴び、大河ドラマで主役を務めている。今回、そんな豊臣兄弟ゆかりの城を紹介する。まずは秀吉と秀長が、どこのお城でどんなことをしたのか、地図と年表でおさらいして、二人の生き様を学ぼう。

中部・畿内を出発点に全国を制圧

戦いに明け暮れた豊臣兄弟の生涯。彼らは尾張(愛知県)に生まれ、織田信長に仕えて京へ上ると、中国地方の平定を任されてさらに西へ進んだ。信長が倒れると、その天下統一事業を受け継ぐかたちで北陸・四国・紀州・九州、そして関東へと行動範囲を全国に拡げた。こうして地図で見ると、二人が日本列島を縦横に駆けめぐったことがわかる。実に長い年月かと思えば、実際には秀吉が城持大名となってから天下統一(1590年)までは20年に満たない。まさに怒涛の歩みだった。年表とも照らし合わせると、より兄弟たちの活躍が深く理解できるだろう。

秀吉・秀長の生涯を年表でおさらい!

1537年 秀吉、誕生
1540年 秀長、誕生
1560年 桶狭間の戦い
1561年 秀吉、ねねを正室に迎える
1566年 秀吉、美濃攻めで墨俣一夜城(1)を建てる※
1567年 稲葉山城(現・岐阜城)(2)の戦い
1570年 金ヶ崎の戦い(3)
1573年 小谷城の戦い(4)
1574年 秀吉、長浜城主(5)に。「羽柴」の名字を名乗る
1574年頃 秀吉の長男・秀勝(石松丸)、誕生
1575年 長篠の戦い
1576年 秀勝(石松丸)、死去
信長が安土城築城
1577年〜 中国征伐(6,7,8,9,10,11
1582年 本能寺の変で信長死す
秀吉、山崎の戦いで明智光秀を討つ
清須会議(12)
1583年 秀吉、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を討つ
1583年〜 大坂城の築城を開始(13)
1584年 小牧・長久手の戦い(14)
1585年 四国征伐(15)
紀州征伐(16,17,18
秀吉、関白に。
天皇家より「豊臣」の氏姓を賜る
1586年頃 秀吉、淀殿を側室に迎える
1587年 九州征伐
1588年頃 秀長、お藤(光秀尼)を側室に迎える
1589年 秀吉の次男・鶴松、誕生
1590年 小田原征伐(19)により、天下統一がなる
1591年 鶴松、死去
秀長、郡山城で死去(数え52歳)
1592年 秀吉と秀長の母・大政所、死去
秀吉の甥・秀次が関白に
1592年〜 文禄・慶長の役(20)
1593年 秀吉の三男・秀頼(母は淀殿)、誕生
1595年 秀次、切腹
1598年 秀吉、伏見城で死去(数え62歳)
1600年 関ヶ原の戦い
1614年 大坂冬の陣(13)
1615年 大阪夏の陣(13)で、秀頼と淀殿が自刃、豊臣家が滅亡

※出典『前野家文書』

(右)写真提供=佐賀県立名護屋城博物館 (左)写真提供=大和郡山市

(右)豊臣秀吉 (1537-1598 )
現在の愛知県名古屋市中村区に、豊國神社という彼を祀る神社がある。秀吉の生まれはそのあたりという。貧しい生活から立身出世を遂げ、天下人になったサクセスストーリーは知らない人がいないほど。乱世に終止符を打った業績は日本史上に永久に刻まれる。

(左)豊臣秀長 (1540-1591 )
若い頃、秀長が何をしていたのかは不明な部分が多い。彼の活躍が明確に表に出てくるのは秀吉が長浜で城持大名になってから。だが四国征伐では総大将を務めるなど、兄の分身として果たした役割は大きかった。いまこそ顕彰、注目されるべき武将といえよう。

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岐阜《墨俣一夜城》
秀吉築城とされる伝説の一夜城

 
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text: Tetsuya Uenaga
2026年4月号「地域の“旬”感へ」

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