TRADITION

岐阜《墨俣一夜城》
秀吉築城とされる伝説の一夜城
|豊臣兄弟ゆかりの城

2026.6.4
岐阜《墨俣一夜城》<br> 秀吉築城とされる伝説の一夜城<br>|豊臣兄弟ゆかりの城

これまで秀吉が主役になることはあったが、2026年はその弟・秀長が脚光を浴び、大河ドラマで主役を務めている。そこで、歴史著述家である上永哲矢さん監修のもと、下層身分から天下人へと上り詰めた豊臣兄弟たちの活躍を追いながら、ゆかりの「城」を解説。今回は、岐阜県大垣市にある「墨俣一夜城すのまたいちやじょう」をご紹介!

上永哲矢(うえなが てつや)
歴史著述家/紀行作家。各種雑誌やウェブサイトに歴史コラムを寄稿。著書に『戦国武将を癒やした温泉』(イカロス出版/山と溪谷社)、『三国志 その終わりと始まり』(三栄書房)など。

《1566年》
美濃攻略のカギとなった築城作戦

織田信長の美濃攻略戦は、1561年(永禄4)年から約6年続いていた。斎藤龍興の領国内・美濃の墨俣に前線基地となる砦を築こうとするが、うまくいかない。何度か失敗した後、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉。以下「秀吉」)に築城の任務が与えられた。

墨俣の地に、どんな城(砦)が建っていたのかはよくわかっていない。ただ美濃の中心地である稲葉山城や尾張との国境に近く、重要な拠点であったのは間違いないだろう
写真提供=大垣市教育委員会

秀吉は尾張と美濃の国境にいる蜂須賀正勝ら(一部史料で川並衆とされる)を味方にし、事前に加工した材木を川上から流し、櫓や柱などを現地で組み立てる作戦を立てた。当然、敵の妨害を受けたが、秀吉はそれを防ぐためにあらかじめ手勢を分け、墨俣砦の築城地に近づけないようにした。夜のうちに外壁をつくり、それを見た斎藤勢は一夜で城ができたと錯覚し、動揺する。これを機に美濃攻めは一気に前進したという。

現在は歴史資料館に 長良川と犀川(かつての木曽川本流)が交わる地に建つ墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)は大垣城の天守をモデルにした資料館。墨俣一夜城の逸話は後世の創作で史実ではないともいわれるが、訪問の価値はある
写真提供=大垣市教育委員会

この秀吉の「一夜城伝説」は『絵本太閤記』や『前野家文書』などの史料に記された出来事。ただし、それらの書は信頼性に疑いがあると指摘されることが多い。

この秀吉出世の足がかりになったと伝わる地に墨俣町の歴史を紹介する歴史資料館「墨俣一夜城」がある。近世城郭の天守を模した施設内で、秀吉の物語がどのように語り継がれてきたのかわかる。

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墨俣一夜城
(大垣市墨俣歴史資料館)
住所|岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742-1
Tel|0584-62-3322
開城時間|9:00~17:00(最終入館16:30)
休城日|月曜(祝日の場合は翌日休)※桜まつり期間中(3月下旬から4月上旬)の臨時開館あり、12月29日~1月3日
料金|200円
www.city.ogaki.lg.jp

豊臣兄弟ゆかりの城
1|墨俣一夜城
2|岐阜城
3~5|金ヶ崎城/小谷城/長浜城

text: Tetsuya Uenaga
2026年4月号「地域の“旬”感へ」

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