TRADITION

第124代「昭和天皇」
|20人の天皇で読み解く日本史

2021.2.26
第124代「昭和天皇」<br><small>|20人の天皇で読み解く日本史</small>

126代目の天皇が誕生した2019年。今も昔も日本の歴史は天皇がつくってきたといっても過言ではありません。天皇に焦点を当ると、これまでとは違う日本の姿が見えてくるはず。今回は、人間宣言により、「国民の象徴」となった人物、昭和天皇を紹介します。

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第124代 昭和天皇(しょうわてんのう)
生没年|1901–1989年
在位|1926(25歳)–1989(87歳)年
父|大正天皇
母|九条節子(くじょうさだこ)
妻|久邇宮良子(くにのみやながこ、後の香淳皇后)

戦後は天皇の神格化を否定
「人間宣言」から象徴天皇に

明治以降の政府では、天皇が国家元首と位置づけられるも、実際の政治を動かすのは内閣や元老だった。昭和天皇は、皇太子の頃からヨーロッパ各国を歴訪するなど、外交的な役割も担っていた。

1926年に即位し昭和の時代になると、軍は大日本帝国憲法を持ち出して「軍の統帥権は天皇にあるため、政府の方針には従わなくてもよい」という勝手な解釈をつくる。これに対し昭和天皇は、満州事変で内閣の不拡大方針に同意し、内閣支持を表明。しかし軍は天皇の行動を側近による入れ知恵と判断し、側近を窮地に陥れることとなる。リベラルな立場で戦争反対を示した昭和天皇だが、意思が無視されることもあった。第二次世界大戦が勃発すると「やむをえず」参戦を裁可。1945年8月14日にはポツダム宣言の無条件受諾を決断。15日正午、終戦が伝えられることとなる。

戦後は「国民の象徴」と位置づけられ、天皇としてはじめて、一切の政治的行為が禁止された。

Point1
終戦の詔勅で
国民に日本の無条件降伏を伝える

『大東亜戦争終結ニ関スル詔書・御署名原本・昭和二十年・詔書八月十四日』 国立公文書館

いわゆる玉音放送で流された終戦を告げる『大東亜戦争終結ニ関スル詔書・御署名原本』。「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ……」ではじまる昭和天皇の言葉によって、国民に日本の無条件降伏を告げた。終戦後は新たに「日本国憲法」を制定し、天皇ははじめて「国民の象徴」と位置づけられた。

Point2
香淳皇后と一緒の姿が恒例に
一夫一婦制を成し遂げる

明治時代までは左に天皇、右に皇太后の並びが基本だったが大正時代からは反対に。古来、日本では右が左よりも格が高いとされてきたが、西洋式を取り入れたことで反対に。これを受け雛人形の並びも変わってきた。

POINT 3
生物学者として粘菌などの研究に勤しんだ

 

画像提供|南方熊楠記念館

昭和天皇は公務のかたわら、海洋生物・植物の分類研究に取り組む生物学者としての顔もあった。皇太子時代から粘菌にも関心をもち、学者・南方熊楠とも親交した。上の写真は、1929(昭和4)年に熊楠が昭和天皇に田辺湾(和歌山県田辺市)の生物について御進講を行った際、持参した標本箱。ミルクキャラメルの大箱に「ウガ」など珍しい生物の標本を入れて献上した。

〈天皇ゆかりの地〉
平成天皇が終戦の玉音放送を聞いた場所
「ましこ悠和館」

©益子町

平成上皇が皇太子時代、学童疎開で滞在していたという「南間ホテル」。平成上皇は、父である昭和天皇の終戦の玉音放送をこのホテルで聞いたという。現在、益子への移築改装準備中。

ましこ悠和館
住所|栃木県芳賀郡益子町益子4264-8
Tel|0285-72-8846(益子町観光商工課)

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supervision: Hirofumi Yamamoto text: Akiko Yamamoto, Mimi Murota illustration: Minoru Tanibata
Discover Japan2019年6月号「天皇と元号から日本再入門」

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