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円空仏に導かれクラフトの里を訪ねる。

2019.3.20 PR
円空仏に導かれクラフトの里を訪ねる。

東京から新幹線で約2時間、岐阜羽島駅のホームに降り立ち、町を見降ろすと、そこで迎えてくれたのは円空上人の彫刻を模した巨大なモニュメントだった。岐阜県は、江戸時代の修行僧で仏師として知られる「円空(えんくう)」生誕の地であり入定された場所。そんな円空とゆかりの深い岐阜の人々は、いまも円空のことを親しみを込めて“円空さん”と呼ぶ。羽島市、関市、郡上市、下呂市、高山市、飛騨市と、木曽川、長良川、飛騨川、宮川の流れを縫うように、県内の円空ゆかりの地をめぐる広域観光ルート「円空路(ロード)」を辿り、円空さんと岐阜のものづくりを巡る旅に出た。

円空がつくった仏像は「円空仏」といわれ、一説にはその生涯で12万体もの仏像を彫ったとされる。現在までに全国で確認されているのは5千体以上。その範囲は、北は北海道から、南は三重県、奈良県と広範に及ぶ。
岐阜羽島駅はそんな円空さんをめぐる旅の出発点。優しい表情をした円空仏を彫った円空さんはどんな場所で生まれ育ち、どのようにその感性は養われたのだろうか。実際の作品や風土に触れ体感し、旅をしながら仏像を彫った円空さんの思いを追体験するのもこの旅の目的のひとつだ。

まず向かったのは「中観音堂・羽島円空資料館」(岐阜県羽島市上中町中526)。ここには17体の円空仏が地元の皆さんによって大切に守り伝えられている。

見どころは観音堂の本尊である十一面観音像。円空40歳の頃の作品といい伝えられ、7歳の頃に木曽川洪水で亡くした母親を思い三十三回忌供養のためにつくられたもの。穏やかなその表情から、歳月を経ても変わらず母のことを思い続けた円空さんの優しい思いが伝わってきて、心に沁みわたる。

続いて訪れたのは関市。円空上人が晩年を過ごし、即身仏として入定した地であり、刃物の町としても知られる。「関刃物ミュージアム」(岐阜県関市小瀬950-1)では日本刀鍛錬見学をすることができる(有料・事前予約制)。関市の刃物の歴史は鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて、この町に刀鍛冶が住み着いたことによりはじまり、700年あまりの歴史をもつ。世界三大刃物の町としてドイツのゾーリンゲン、イギリスのシェフィールドと並び称される関市には、刃物をつくる上で重要な水・山・土の3つの要素が揃っている。具体的には長良川の豊富な水源、火を熾し焼入れをするための松の炭、刀をつくるときに塗る赤土といった良質な天然資源に恵まれているのだ。

数年前からの刀ブームで女性ファンが見学に訪れることも増えたという。この日実際の刀鍛錬を実演していたのは、関市の刀鍛冶の中でも人気の高い26代目藤原兼房。火床で松炭を燃やし、ふいご(金属の加工、精錬などで高温が必要な場合に、燃焼を促進する目的で使われる道具)を使い勢いよく火を熾し、真っ赤になるまで焼いた鉄と鋼を貼り付けたものに藁灰をつけ、金槌を振り下ろし鍛錬する。豪快に赤い火花が散るさまは圧巻だ。
「刀づくりのおもしろさは、ひとつとして同じものができない、自分のものがつくれることです。研究試行錯誤しながら一本一本つくっています」と言っていた若き刀鍛冶の言葉から、思いを込めてひとつひとつ仏像を彫った円空さんの姿が目に浮かぶ。いまも受け継がれているこの地でつくられた刃物を使い円空上人も旅のゆく先々で円空仏を彫ったのかもしれない。匠の技に触れて、円空さんがいた時代に思いを馳せた。

旅といえば欠かせない食に関しても、職人の町らしい名物がある。クラフトの町として知られる県内の多くの地では、手早く食べられてスタミナもとれる丼物、中でも関市には鰻が美味しいお店がたくさんある。そして、この地方の食卓にいまも昔も欠かせないのが、味噌にネギなどを混ぜて朴の葉にのせて焼いて食べる朴葉味噌。清流が流れ水がきれいな岐阜の町々でつくられる味噌は絶品。ご当地味噌を使ってつくる朴葉味噌は、それぞれの家庭にそれぞれの味があって、寒い冬の食卓にはなくてはならないもの。朴葉味噌を食べると岐阜に帰ってきたという思いがする。

関市東門前町にある明治7年創業の鰻の名店「角丸」(関市東門前町21)で鯉のあらいと、外はパリッと中はふっくら香ばしい鰻を味わい、バスに揺られて約1時間、長良川上流にある郡上市へ。日本最古の木造再建城として知られる郡上八幡城(1933年再建)を訪れた。雨が降り続くあいにくの天気の中、作家司馬遼太郎が日本で一番美しい山城とたたえた天空の城は深い霧に包まれていた。

郡上市は「郡上おどり」と「白鳥おどり」がある日本一の踊りの町。そして中心街を吉田川、清流長良川が南北を流れる水の都だ。高山の春秋の高山祭、飛騨古川の古川祭や起し太鼓と祭が盛んなのは岐阜県の特徴でもある。祭好きで水が綺麗となると、旨い酒が必須であることはいうまでもない。

郡上八幡で訪れたこの地で一番古い酒屋「上田酒店」(岐阜県郡上市八幡町本町846-3)で地酒の味見。限定銘柄の大吟醸「しずく酒」、その名も「郡上おどり」など、このお店でのみ味わえる地酒が充実している。

郡上市で一泊し、翌日向かったのは岐阜県随一の温泉街として知られる下呂市。下呂市周辺の町にも円空仏は残されており、「下呂温泉合掌村円空館」には主に晩年彫られた作品が展示されている。遊行僧として日本各地で木彫の仏像を残した円空だが、生誕の地である岐阜県内には現在確認されている5000の円空仏のうち約1300体が大切に守られている。
下呂は温泉街として人気だが、今回の目的地である下呂市小坂町は滝と炭酸泉の町として知られ、奥深い山あいには落差5m以上の滝が216もあり、日本で一番滝が多い自然豊かな場所としての顔をもつ。透明度の高い美しい水が豊富で、川遊びも楽しい。冬山の雪原でのトレッキングでは、天気が良ければ遠くに乗鞍(のりくら)岳や御嶽(おんたけ)山を望むことができる。山と森に囲まれたこの雄大な自然に円空も創作のインスピレーションを得たのだろうか。

下呂市小坂町では炭酸泉を使った鍋に舌鼓を打った。ふわふわの豆腐と地元で採れる甘みたっぷりの葱を炭酸泉で煮ると、煮汁に素材の旨みが溶け出しとても濃厚でまろやかな味わいになる。炭酸泉は胃腸を整える効果があるともいわれており、何杯もおかわりした。

日も暮れかかり今夜の宿泊地である高山市へ。ホテルにチェックインする前に高山の古い町並を散策し、老舗の酒蔵で地酒を買い込みホテルへと向かった。

高山市ではなんといっても春と秋に行われる高山祭は外せない。山に囲まれた飛騨地方の冬は長い。待ちわびた春の祭として一年の豊作を祈願する山王祭。豊作に感謝をする秋の八幡祭である。
高山祭の起源は1585年から1692年の間の金森氏の時代にさかのぼる。屋台を使った祭りがはじまったのは文献によれば1718年、およそ300年前のことといわれる。

高山市は江戸幕府が治めた天領としての歴史をもち、町人の町として庶民の文化が栄えた。古い町並のあたりは江戸時代の裕福な商人たちの町で、彼らの財力が飛騨の匠の技とともに高山祭の屋台を支えてきた。春は宮川に架かる中橋での桜との競演、秋は古い町並を曳き廻す厳かな宵祭が見事な祭りだ。

高山市を含む飛騨地方には「飛騨の匠」という言葉がある。およそ1300年前、飛騨地方では穀物を税として納める代わりに、京都や奈良へ赴きその卓越した木工技術を都の宮殿や社寺に活かすことが課され、やがて飛騨の匠と呼ばれるようになった。中には派遣先に定住し、その土地の匠となった者もいるといわれている。その飛騨の匠の技が発揮された民家建築が現在の高山市には多く残る。

江戸時代の様式をもとに明治になって建てられた日下部家と吉島家では、今もなお、飛騨の匠の技による見事な造りを見ることができる。狭い間口に広い土間。吹き抜けの先の明り取りの窓。かつて暮らしの中心にあった囲炉裏。障子紙は内外互い違いに貼られ、内と外を見せない昔ながらの貼り方を踏襲している。

高山市では毎日朝市が開かれる。宮川沿いと陣屋前広場の2カ所で開催され、昔から地域の人々の暮らしに強く根差してきた。毎日の食卓に欠かせない、地場産の新鮮な野菜や果物、餅、漬物などが所狭しと並ぶ。

かつてはリヤカーの引き売りだったものが車に変わっても、「八百屋いらず」といわれた朝市は、高山市の人々にとっていまも欠かせないものだ。いつもこの朝市では旅先でも日持ちがする田舎餅を買って帰ることにしている。人とのふれあいの中で新鮮な食材を手軽に手に入れることができる朝市は、都会暮らしの自分にはとてもうらやましく思えた。

江戸時代の豪商、矢嶋家と永田家の土蔵を活用した「飛騨高山まちの博物館」(岐阜県高山市上一之町75)でも、高山市で暮らす人々の生活の中で信仰されてきた貴重な円空仏を見ることができる。その昔、子どもが円空仏と一緒に川遊びをしたというおとぎ話のような逸話があるほど、この地の人たちにとって身近な存在だった。

最後に訪れたのは、岐阜県最北端に位置する飛騨市。飛騨古川の町は白壁土蔵と瀬戸川が流れる、人々の暮らしが今も息づく情緒あふれる町並みで知られている。

この町に訪れたら、和ろうそくの「三嶋和ろうそく店」(岐阜県飛騨市古川町壱之町3-12)は必ず訪問したい。240年以上続く和ろうそくの老舗でつくっているのは、「生掛け和ろうそく」といわれるもので、イグサと和紙の芯にハゼの実からつくった木蝋を加熱して溶かしたものを繰り返し掛けることで完成する100%天然由来の成分でつくられる和ろうそく。

同じ製法でつくる和ろうそくは現在では全国で10軒ほどしかなく、すべて手づくりの工程はここだけという貴重なものだという。

店内に入ってすぐの作業場では7代目の三嶋順二さんが朱の和ろうそくを制作中だった。溶けた朱の蝋が入った鍋の前で三嶋さんは朱掛けを繰り返す。この製法でつくられる和ろうそくは天然成分のためススが少なく、長持ちするのだという。江戸時代と変わらぬ作業場で和ろうそくを1本1本手づくりする三嶋さんの笑顔は、この旅一番の思い出になった。朱と白の和ろうそくを、三嶋和ろうそく店の8代目からお土産に買い求め、旅の思い出にした。

移動手段が徒歩しかない時代に、円空が辿った道のりは決して穏やかではなかっただろう。しかし現在私たちが辿る円空の道程は、豊かな土地と人の恵みにあふれて、自然と笑みがこぼれてくる。この春、円空さんの残した足跡をたどって、歴史豊かな岐阜の町々を巡る旅に出てみてはいかがだろうか。

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