七五三はなぜ11月?千歳飴の意味は?
「七五三」の基礎知識
日本は長寿国として知られていますが、実は平均寿命が60代を超えたのはそう古い話ではありません。しかしそれは長寿の人が少ないだけでなく、子どもの死亡率が高かったことも、平均寿命を下げる大きな要因でした。そんな中、子どもの健やかな成長を祝う行事は、切実な親の気持ちが込められた、大切な行事として現代にも受け継がれています。そのひとつである「七五三」について紐解きます。
段階を経て、神の世界から人の世界へ
「つのつくうちは神のうち」という俗諺がある。それは「ひとつ」「ふたつ」と年を数えるときに、語尾に「つ」がつくうちは神様のうち、つまり九つまではまだ俗世の者ではないという考え方を表している。これは、乳幼児の死亡率が高く、幼くして亡くなった子にせめて美しいところへ行ってもらいたいという願いと、子をなくす悲しみを「まだ神様の国の者だから、神様のもとに帰ったのだ」と慰めるために生まれた言葉であろう。
女性の厄年が昔の出産年齢とも近いのは、お産で亡くなる女性が多かったことと関係があり、その際に母親だけでなくおなかの子も死んでしまうことが多々あった。昔は子だくさんであったが、全員が無事に育つというのはほとんど奇跡ともいうべきことだったのだ。
お七夜という、生まれて7日目を祝う行事をはじめ、子どもが一つ年をとるたびにほっとする親の気持ちが、やがて3歳、5歳、7歳を節目として祝う行事となっていく。
親の願いが込められた折々の行事
現代では11月15日(前後の土日が多い)に行われる七五三の祝いだが、もともとは3歳の「髪置き」、5歳の「袴着」、7歳の「帯解き」という別々の行事で、それらは正月に行われる(数えでその年齢になった日)ことも珍しくないなど、今のように11月に限ったものではなかった。
「髪置き」とは、赤ん坊のうちは髪を伸ばさず頭をそっていたのが、これを機に伸ばし始めるという儀式である。白髪のかつらや綿帽子をかぶせて、白髪が生える年齢=長寿を願った。この行事は男女問わず行われていた。
「袴着」は初めて袴(公式な場に出る大人の衣裳)を着せる男児の儀式で、碁盤の上に立たせる。吉方をむいて左足、右足の順に足を入れて袴をはかせる、冠をつけて四方にお辞儀をする、足で碁石を踏ませるなど、地域によって風習に違いがあるが、どれも立身出世や勝運が身につくようにという親の願いが込められている。
「帯解き」は、大人と同じように、着物に帯を結ぶ女児の儀式。子どもの着物にはひもを縫い付けて、着付けしやすいようになっているが、この儀式を経た子どもの着物からは縫い付けた紐をとりはずし、大人と同じ着付けにする。
これらの行事はもともと宮中で公家たちが行っていたもので、それが武家、庶民へと降りてくる中で、少しずつ形が変わっていった。
子どもの成長を祝う儀式がなぜ11月に?
7歳というのは身分の上下なく大事な年齢で、それまではいたずらや悪さをしても「神のうち」ということで、人間のルールに縛られない存在として大目に見られてきたが、7歳を過ぎるともうそれは通用せず、読み書きをならいに行く(関東では貧しい武士が開く手習い所、関西では寺で開く寺子屋)、針仕事などの師匠につく、奉公に出るなど、様々な修行を課されるようになった。
こうした子どもの成長を祝い行事が11月15日になった理由は、いくつか説があり、江戸時代の徳川5代将軍綱吉が息子のために行った祝いの日が11月15日だったから、また11月15日にはもともと祭りが多かった(めでたい日)からなど、どれが正解でどれが間違いというより、それらが重なって11月15日となったようだ。
11月は農作業もひと段落し、月半ばには、春に迎えた豊穣の神(祖霊)を山へと送り返す祭りの時期でもある。この時、7歳になった子どもは、村の鎮守の氏神様に仕える氏子として認められたということもあり、これが庶民の「神のうちから人へ」の通過儀礼だった。
こうした下地があったため、公家や武家の行事とすんなり混じり、子どもの成長を祝う儀式が定着していったのだろう。
七五三の歴史は浅い?
七五三という言葉が使われるようになったのは明治時代から。江戸時代の川柳にも、子どもの祝いにお金がかかって大変だと嘆くものがあるが、七五三の晴れ着ブームが本格化するのは大正時代ごろで、呉服問屋が子ども向け商品を七五三にぶつけて売り出すようになってからのこと。お金がかかるのは衣装だけではない。隣近所に配りもの(赤飯など)をするのにも、昔は重箱を子どもの名前入りであつらえる、さらにはそれを包む風呂敷もあつらえるという家もあり、子どもの門出を立派に飾ってやりたい親心と財布の中身のせめぎあいになるのは、いつの時代も同じようだ。
ちなみに七五三の子どもが手に持っている千歳飴の袋。あれは江戸時代に浅草で飴売りをしていた七兵衛という者が、もともと「千年飴」などという名で売り歩いていた飴を、寿の字や鶴亀を描いた紙袋に入れて売るようにしたところ、めでたい縁起物として子どもの長寿を祝うヒット商品になったという。袋の中に、子どもの年齢と同じ本数を入れるという説もある。
秋晴れの日に晴れ着を着たお子さんを連れたご家族の姿は、日本の秋の風物詩です。昨今は写真館などで家族写真を撮るだけで終わりという人も多いとか。ご近所で過ごすことが多かった今年は、七五三を機に、地元の神社仏閣に足を運んで、永くその土地を守ってきた神様仏様に子どもの将来行く末を見守ってくださるよう、お願いしてはいかがでしょうか。
千歳飴は長いまま食べるのが、長寿を願うという意味では本来の食べ方ですが、のどを詰めたりすると危ないので、子どもに食べさせるときはビニール袋などに入れて叩いて割って、小さくしてから(尖ったものは与えない)が安心だそうです。
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ライタープロフィール
湊屋一子(みなとや・いちこ)
大概カイケツ Bricoleur。あえて専門を持たず、ジャンルをまたいで仕事をする執筆者。趣味が高じた落語戯作者であり、江戸庶民文化には特に詳しい。「知らない」とめったに言わない、横町のご隠居的キャラクター。
参考文献=おうち歳時記(朝日新聞出版)/知れば納得!暮らしを楽しむ12ヶ月のしきたり(PHP研究所)/暮らしに生きる日本のしきたり(講談社)/日本を楽しむ年中行事(かんき出版)/日本の「行事」と「食」のしきたり(青春出版社)