TRADITION

敬老の日の起源は聖徳太子だった!?
人生百年時代にあらためて知る「敬老の日」

2021.9.5
<small>敬老の日の起源は聖徳太子だった!?</small><br>人生百年時代にあらためて知る「敬老の日」

日本は今や世界有数の長寿国ですが、実は100年前の平均寿命はやっと50歳台。というのも、乳幼児の死亡率が高いだけでなく、若者も結核などで20歳前になくなる人が多かったからです。現代では60歳ではまだまだお年寄りとは言われませんが、ちょっと前までは60歳まで生き延びた人は、周囲の人があやかりたいとあこがれる存在だったのです。

敬老の日の起源は聖徳太子?

敬老の日が定められたのは1966年。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」日として、9月15日と定められ、のちの西暦2003年に、連休を増やすハッピーマンデー制度によって、9月第3月曜日に移動した。

なぜ9月15日だったのか? それは1966年からさかのぼること1300年以上、593年の9月15日に、聖徳太子が摂津の四天王寺に「悲田院」を設立したことに由来する。悲田院の悲は慈悲の悲で、慈悲の心で人々を苦しみから救い、福徳を積むという仏教の教えがすなわち「悲田」であり、その教えに従い、身寄り頼りのない病人や年配者を救うのが「悲田院」だ。

秋は長寿を願う季節

同じ9月には9日に重陽の節句がある。1月1日、3月3日、5月5日、7月7日にくらべ、9月9日はあまり節句として生活の中に行事が根付いていないが、菊の花を浮かべた酒を飲んだり、前夜に菊の花に着せ綿(綿で花をくるむ)をして、翌朝菊の香りや露が移ったその綿で体をふき、長寿を願うといった行為が、古くから公家文化にあった。花もちがよく薫り高い菊に強い生命力を感じ、それにあやかろうとしたのだろう。

他の節句もそうだが、重陽の節句も元々は中国の風習で、9月9日に香りの強い山椒を身に着けて高いところへ上がり、菊の花を浮かべた酒を飲むと、長寿や若返りがかなうというもの。ただ、ほかの節句と違い、9月9日前後にちょうど合うような日本の土着の風習がなかったためか、公家文化から武家文化への派生はあったが、重陽の節句行事は一部の風流好みの人々をのぞき、あまり庶民には広まらなかった。だが中国伝来の植物である菊は日本人に愛され、花の見事さを競う菊比べや菊人形づくりは、庶民も楽しむ秋のイベントとして親しまれている。

長寿を祝うのは60歳から

60歳の誕生日に赤いちゃんちゃんこなどを贈る還暦の祝いに始まり、70歳は古希、77歳は喜寿、80歳は傘寿、88歳は米寿、90歳は卒寿、99歳は白寿、100歳は百寿と、お祝いしていく。現代の60歳はほとんど老人といったイメージはなくなり、赤いちゃんちゃんこなど着ないので、ほかの身に着けるアイテムで赤いものを贈られることが多いそうだ。そもそもなぜかつて赤いちゃんちゃんこが主流だったのかと言えば、赤は古来生命力を表す色であり、寒さに弱い老人の身を守るものとして、赤+ホームウエア=赤いちゃんちゃんことなったのだろう。生命力を表す赤いものであれば、ちゃんちゃんこである必要はないので、その人が常に身につけられるような赤いものを贈るのが、今後ますますの長寿を願う贈り物として正しいことになる。

61歳の厄年を超えれば長寿

一般的に、男の厄年は25歳、42歳、61歳、女の厄年は19歳、33歳、37歳となっている。男の厄年の最後が61歳であることに触れる前に、男の大厄は42歳、女の大厄は33歳であることに注目したい。42(しに)や33(さんざん)といった語呂合わせだという俗説もあるが、こうした数字は体験的に人々が知っていた、大きな災厄に見舞われやすい歳であったことが、本当の理由とみるべきだ。

昔の男の42歳は、親が還暦を迎えるころであり、当時であれば親と死別して自らが家族の最年長者になる。仕事の責任も重い。このため、自分の健康に留意せず働いて、病気になったり死んでしまったりする人が多い年代だったのだ。また女の厄年は再生産年齢(子どもを産む年齢)とよく重なっており、出産という命がけの大事業で死んでしまう人が多い年齢が厄年になっている。33歳は、すでに生んだ子どもたちに食べさせるために、自分が栄養を十分に取れていない場合が多い。さらには子どもの世話も含め嫁として家事全般を担っており、ゆっくり休養も取れないまま妊娠出産というケースも多く、一層危険が大きかったのだろう。こうした危険な年齢を越したときに、神や仏に感謝して祝いをするというのが、大厄の祝いの意味である。

そして男の最後の厄年は61歳。ここまで生きる人は体も丈夫でさらに長生きできる可能性が高かった。これを過ぎれば老人として余生に入る。女の最後の厄年はぐっと若く37歳なのは、前述のとおり多産の時代にあって最後の子を産むのが37歳前後であり、そこを生き延びればあとはもう大丈夫と、昔の人は経験で知っていたので、それ以降女性の厄年はなくなるのだ。

目まぐるしく世の中の常識が変化する現代では、蓄積された経験よりも新しい発想がもてはやされがち。しかしツールは進化してもそれを使う人間そのものは、案外昔と変わらないものです。敬老の日には親類や近所のお年寄りの昔話を聞いてみると、温故知新ともいうべき発想のタネが見つかるかも知れません。

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ライタープロフィール
湊屋一子(みなとや・いちこ)
大概カイケツ Bricoleur。あえて専門を持たず、ジャンルをまたいで仕事をする執筆者。趣味が高じた落語戯作者であり、江戸庶民文化には特に詳しい。「知らない」とめったに言わない、横町のご隠居的キャラクター。

参考文献=知れば納得!暮らしを楽しむ12ヶ月のしきたり(PHP研究所)/絵でつづるやさしい暮らし歳時記(日本文芸社)/年中行事覚書(講談社学術文庫)/しきたりの日本文化(角川ソフィア文庫)/知れば恐ろしい日本人の風習(河出書房新社)

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