TRADITION

「能」とは?
三間四方に広がる美しき想像の世界

2021.2.27
「能」とは?<br>三間四方に広がる美しき想像の世界

日本の伝統芸能のひとつである「能」。存在は知っていても難解なイメージで敬遠してしまっている人も少なくありません。しかしながら、本当に能は難解なのでしょうか? “食わず嫌い”しているだけではありませんか? 能とは一体どんなものか、宝生流能楽師シテ方の佐野登さんが教えてくれました。

語り
宝生流能楽師シテ方
佐野 登(さの・のぼる)
東京藝術大学邦楽科卒業。宝生流十八代宗家宝生英雄に師事。演能活動や謡曲・仕舞の指導を中心に、日本の伝統・文化理解教育のプログラムを各地の教育現場で行うほか、現代に生きる能楽を目指し積極的に活動する。

能とは、

能を難解といって敬遠する人たちがいる。まず言葉が難しい、動きの意味がわからない。ストーリーにしても、昔は身近な話だったかもしれないが、今となっては理解しにくい……。また食わず嫌いの感もある。要するに〝ピンとこない〞のである。しかし、本当に能は「難解」なのだろうか。

「意味などまったくわからない子うたいどもたちが、謡のことばで遊び、聞き慣れない謡の節にケラケラ笑い、その物語をおもしろがる。そんな場面を幾度も見てきました。子どもは先入観もなく、素直です。彼らは、純粋に感覚で能を楽しんでいるのでしょうね。一度受け入れられれば、あとは経験を積むと、さらに能を〝おもしろがれる〞のかな」

能楽師の佐野登さんは語る。
この〝おもしろがりよう〞の切り口は人それぞれ。豪華な装束を楽しむ人もいれば、謡や囃子の響きの美しさにはまってしまう人もいる。あるいは能が醸し出す〝雰囲気〞そのものを楽しんでいる人もいるだろう。

「一番いいのは、自分でやってみることなのではないか。そう思って体験型のワークショップをムキになってやっています。その際に能とは何か、などという小難しいことはやっていません。体験することはやっていません。体験することで興味をもち、理解につながればいい。御託を並べる前に謡え、動け、そして聞け、というわけです。あとは能を感じるままに観てほしいのです」

どうやら能は、思っていたほど難しいものではないようだ。もちろん単純なものでもないが、能の世界は宝箱を見つけたときのようなワクワク感とドキドキ感に満ちている。尽きることのない佐野さんの興味深い話の中から、能へ足を踏み出すための入り口を探してみた。

心を遊ぶ

「楽しいときやうれしいとき、上向く? 下向く?」
「うえー!」
「悲しいとどうなる?」
「泣く!」
「下向く!」

佐野さんのワークショップの一場面だ。答えているのは子どもたち。

「これだけわかれば、能は十分理解できるのです」
能を視覚でとらえるとき、情報ソースは演者の動きとなる。その動きは実にシンプルだ。見たままに、感覚でとらえることが大切なのかもしれない。もうひとつの情報源は「音」、耳でとらえる能だ。謡のことばと節。囃子のリズムはそれを増幅し彩色する。

「気分が高揚すれば声の調子は上がります。沈んだ気持ちのときは低くなる。楽器のテンポが速くなれば場面は緊張してきます。謡のことばだって聞いていればわかることがあります。全部を理解しようと思わなくていい」

五感でとらえ、想像力がつくり出すのが能であるなら、観た人間の数だけ能があることになる。正解などないし、誰もそれを求めてはいない。

「イマジネーションの世界のほうが、ドキドキしませんか?」

現代の主流ともいえる映像が親切にもすべてを見せてくれるのに対し、能舞台にはセットも背景もない。限られた空間、約束事の中で能楽師がやっていることは、観客の想像力を引き出すことに終始しているのかもしれない。

心やそれに伴う動きをもとに、能には「人とは」という根源的なテーマが存在する。時代が変わっても人はそう変わるものではない。だからこそ、能が何百年も受け継がれ淘汰されてたどりついたかたちは、いつの時代も人々に語りかけてくれるのだろう。

photo:MitsunoriSakamoto text=Akiyoshi Nishidate, Akiko Kaneda, Maho Shimizu(Notion)
2018年別冊「ニッポンの伝統芸能 能・狂言・歌舞伎・文楽」


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