建築家 菊竹清訓の展覧会が島根県立美術館にて開催
展覧会「菊竹清訓 山陰と建築」を、島根県立美術館にて、2021年1月22日(金)〜3月22日(月)まで開催します。
建築家
菊竹清訓(きくたけ・きよのり)
(1928-2011)福岡県久留米市に生まれる。1947年に早稲田大学理工学部建築学科に入学し、在学中に「広島平和記念カトリック聖堂建築競技設計」 (1948)で3等に入選した。1950年早稲田大学を卒業。1953年、25歳で菊竹建築研究所を創立した。(1962年菊竹清訓建築設計事務所に改称)プリヂストンタイヤの創業者・石橋正ニ郎からの依頼で《石橋文化センター》(1956)の設計のほかプリヂストン関係の建物を多く手がけた。1958年には自邸《スカイハウス》を発表し、日本の新しい住宅建築として、注目を集めた。1960年に川添登、黒川紀章らとともに「メタボリズム」を提唱し、「世界デサイン会議」に参加した。
また「か・かた・かたち」の設計理論を展開したことでも知られる。1964年には、《出雲大社庁の舎》(1963)の設計によって、アメリカ建築家協会(AIA)汎太平洋賞、芸術選奨文部大臣賞、日本建築学会賞作品賞の各賞を受賞した。1969年、代表的な著書『代謝建築論』を刊行。日本万国博覧会の《エキスポタワー》(1970)、沖縄海洋博覧会の《アクアポリス》(1975)など数々の博覧会でも活躍し、《東京都江戸東京博物館》(1992)、《九州国立博物館》(2004)を手がけた。
1.スカイハウスと初期の作品
若くして自身の設計事務所を設立した菊竹清訓は、同郷のプリヂストンタイヤの創業者・石橋正二郎から、木造建築の改築の仕事を数多く依頼された。こうした仕事の「解体」「組み立て」の作業によって、菊竹は日本建築の「更新」という概念を見いだすことになる。
また正方形のワンルームを、4つのコンクリートの壁柱で持ち上げた自邸《スカイハウス》を発表し、戦後のモダニズム建築の旗手として注目を集めた。
2.メタボリズムと未来都市の構想
建築評論家の川添登は、1960年に建築家の菊竹清訓、大高正人、黒川紀章、槇文彦、グラフィックデサイナーの粟津潔、インダストリアルデサイナーの榮久庵憲司を召集し、メタボリズム・グループを結成した。メタボリズム・グループは、この年、東京で開催された「世界デサイン会議」で、「メタボリズム」を提唱し、新しい都市と建築を提案したのだった。
《塔状都市》、《海上都市》から始まる未来都市の構想は、菊竹が生涯を通じて取り組んだ仕事である。
3.山陰の建築
島根県松江市に博物館を建設する計画を進めていた第23代田部長右衛門は、久留米市の《石橋美術館》を視察し、博物館の設計を菊竹清訓に依頼することを決心する1957年に島根に招かれた菊竹は、出雲大社に案内され、本殿の壮大な建築に強い印象を受けた。その後、知事となった田部長右衛門によって、菊竹は島根で多くの建築を設計している。本展では、松江市、出雲市、米子市・境港市、萩市で建設された菊竹による建築を紹介する。
4.方法と作品
菊竹清訓は、《出雲大社庁の舎》の設計を手がけた 1960年頃から設計とは何かという問題に直面し、独自の方法論を構築し始める。「か・かた・かたち」の三段階の設計理論を展開した菊竹は、自信を持って1963年の「国立京都国際会館設計競技」に臨んだ。菊竹の応募案は、実現されなかったが、この方法論によって、生涯、数多くの作品を生み出し、《東京都江戸東京博物館》(1992)や《九州国立博物館》(2004)といった大作も実現した。
展覧会「菊竹清訓 山陰と建築」
会期|2021年1月22日(金)~3月22日(月)
会場|島根県立美術館 企画展示室
住所|島根県松江市袖師町1-5
休館日|火曜日(2月23日は開館)
開館時間|1月・2月 10:00~18:30/3月 10:00~日没後30分
※展示室への入場は閉館30分前まで
観覧料
・日時指定入場券 一般 600円/大学生 400円/小中高生 無料
・日時指定当日券 一般 650円/大学生 400円/小中高生 無料
※いずれも当館コレクション展観覧料を含む
※日時指定による定員制(美術館サイトよりオンライン予約)
※当日定員に空きがある場合は、日時指定当日券を販売
https://www.shimane-art-museum.jp/
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