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出雲大社の建築的魅力とは?
出雲大社の「建築」-1

2020.10.28
出雲大社の建築的魅力とは?<br><small>出雲大社の「建築」-1</small>

高さ48m。古代は高層神殿だったというエピソードの残る出雲大社。本殿内で行っていたお祭りを考えれば、独特とも呼べる御本殿の建築的な意図が垣間見えてきます。

監修者
神戸大学教授・黒田龍二さん
伊勢神宮の解説をしてくださった黒田先生。復元模型を設計するなど出雲大社への造詣も深い。

高層建築だったという、ロマンにあふれた御本殿

出雲大社は古代には48mにも及ぶ高層神殿だったといわれている。2000年に地下室を造成していた際、巨木を3本束ねて1本の柱とした極端に太い柱の建物が見つかったことなどから推察されている。この出土した柱は、かつて高層神殿であったことを雄弁に物語る貴重な証拠として、現在も重要文化財として保管されている。なぜ高かったのか……。その理由ははっきりとしないが、ロマンのある逸話である。

出雲大社の建築様式は大社造。後のページに詳しいが、出雲大社の御本殿にはいまも数多くの謎が残る。たとえば正面、側面ともに柱間二間で9本の柱があり、正面の中央と建物の中央にも柱があるつくりになっている。普通は建物の真ん中に神さまがいてほしいと願うため、中央に柱がくるつくりは非常に珍しい。

御本殿復元図。黒田龍二先生が設計した復元図を基に制作したもの。傾斜の強い階段など資料などから忠実に再現している

私たちがお参りをする際に大国主大神は西を向いておられる。向かれている西には国譲りの舞台となった稲佐の浜があり、大国主大神は常にその方向を見ているのでは……という神話に基づく説もあるが、一方でこんな説もある。

昔は広い御本殿の中で出雲大社の宮司を代々司る国造家、そこに多くの神主が集い、祭祀をしていた。その時に宮司は神主の方を向いて座る。つまり宮司が神さまの場所に座り、その後ろに出雲の大神となる。そういう祭祀をしていた。つまり、大昔はいまのような参拝者はおらず、外から我々が拝むということを考えていない、あくまで建物内で祭祀をすることを前提に考えていた建物と考えれば合点がいく。

伊勢神宮の御正殿と、出雲大社の御本殿は異なるが、そもそも伊勢神宮の天照大御神は、もとは御殿の中で天皇がお祀りをされ、その当時の御殿と出雲大社は同じような建築と考えるとわかりやすいのではないだろうか。

さて、お祭りのことを考えれば50m近い高さで困る点もある。階段の勾配は45度で傾斜も強く、上り下りに危険が伴う。黒田先生は「当初は低かったのでは……」と考える。巨大な柱の遺構からも、ある時期に高かったことは間違いない。ただ、それは土器の年代、放射性炭素、年輪年代、記録などに照らし合わせても、鎌倉時代だと証明され、少なくとも世紀には高かったと考えられる。とはいえ我々は現在の出雲大社の御本殿を仰ぎ見て、高層神殿だった時代に思いを馳せてみる、というロマンを抱けばさらに出雲大社が魅力的に見えてくるはずだ。

東大寺大仏殿を超える高層建築だった!?

平安時代中期に書かれたとされる『口遊』という書物に雲太、和二、京三という記述があり、当時高かった3つの建物を指し示すとされ、一番高かったとされる雲太は出雲大社を指しているとされる


1本が直径約135cmにもなる木を、3本束ねて1組にした巨大な柱
巨木が見つかった遺構を示した石畳が境内にある

出雲大社
住所|島根県出雲市大社町杵築東195
Tel|0853-53-3100(出雲大社社務所)
時間|6:00~20:00
アクセス|電車/一畑電車出雲大社前駅から徒歩5分、JR出雲市駅からバスで20分車/山陰自動車道宍道ICから35分
駐車場|あり

出雲大社の「建築」
1|出雲大社の建築的魅力とは?
2|象徴的存在、御本殿に迫る

鎌倉時代の出雲大社本殿復元図(復元設計:黒田龍二)、建物比較図版、巨木の遺構(提供:古代出雲歴史博物館)

text: Hisanori Kato,Takenori Nanbu,Discover Japan photo: Haruo Nakano,Takanori Suzuki illustration: Hitomi Iha,Mariya Arai coordination: Tsuyoshi Nishikid
2017年 別冊「伊勢神宮と出雲大社」


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≫古事記からひも解く伊勢神宮のルーツ。伊勢神宮入門

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