TRADITION

歌舞伎では珍しいドタバタ喜劇「隅田川続俤」
おくだ健太郎の歌舞伎キャラクター名鑑

2020.10.9
歌舞伎では珍しいドタバタ喜劇「隅田川続俤」<br><small>おくだ健太郎の歌舞伎キャラクター名鑑</small>
法界坊「そこが当世(とうせい)でござい」

名作歌舞伎を彩る個性豊かなキャラクターを、歌舞伎ソムリエのおくだ健太郎さんが紹介。今回は、東京の隅田川の東岸の街・向島を舞台に、はちゃめちゃなワル坊主・法界坊(ほうかいぼう)が繰り広げる、歌舞伎としては珍しいドタバタタッチの喜劇「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)」です。

おくだ健太郎
歌舞伎ソムリエ。著書『歌舞伎鑑賞ガイド』(小学館)、『中村吉右衛門の歌舞伎ワールド』(小学館)ほか、TVなどで活躍。
http://okken.jp

野分姫の霊「しのぶ いらんせんかいなぁ」

花柳界のつやっぽい魅力がいまも残る、東京の隅田川の東岸の街・向島。老舗の料亭、長命寺の桜もち、七福神めぐりなど、対岸の浅草ともども、江戸の人気スポットのひとつでした。その向島を舞台に、はちゃめちゃなワル坊主・法界坊が繰り広げる、歌舞伎としては珍しいドタバタタッチの喜劇です。

お金にも色事にも目のないエログロ坊主の法界坊。お寺の釣り鐘を建て直すので、おめぐみを……と町内を回りますが、集めたお金は全部自分が使い込む魂胆。まったくとんでもないやつですが、モデルになった僧侶は近江と江戸を往復して釣鐘建立の勧進に励み、吉原の遊女たちの悩み相談の相手としても慕われた人格者だったとか。それをがらっと変えて、こんなキャラクターを生んでしまうのですから、歌舞伎の発想力は大したものですね。

物語の土台をなすのは、吉田家という高貴なお家の騒動です。若君の松若には、野分姫(のわけひめ)といういいなずけがいるのですが、彼は現在、という商家の手代に身をやつして、行方不明になってしまったお家の宝・「鯉魚の一軸」(鯉が描かれた掛け軸)を探しているという境遇。しかも、永楽屋の娘・お組と恋仲になってしまいました。

お宝はなかなか手に入らないし、いいなずけがちゃんといるのに奉公先の娘と恋はするし……この若さまもとんだ人騒がせですが、そこに割り込んでくるのが法界坊ですから、事態はますます混乱を極めます。かねてからお組に片思いする法界坊、金釘流の恋文を片手にしつこくお組を追い回し、一軸を奪い取っての金儲けもあれこれと画策。ことごとく失敗して懲らしめられても、まるで反省の色がない。

「懲りないやつ」なんですね。その底なしのバイタリティで、客席を笑いのるつぼにしていくのです。

とはいっても、本性は残忍な男ですよ。松若に会いたくて江戸まで訪ねてきた野分姫を、お組の代わりにといっては何ですが、手ごめにしかけて未遂に終わると、あっさり切り殺してしまいます。そのあと結局、法界坊自身も、松若やお組に助太刀する男・甚三に仕留められますが、その亡霊は、自分が殺した野分姫の霊と合体して、桜が満開の隅田川のほとりで大暴れします。

法界坊の霊と野分姫の霊の合体なのに、姿はなぜかお組にそっくりの複雑怪奇なこの怨霊、自分と同じ姿のお組本人に襲いかかると、乳房をまさぐってニヤリ。生きているうちにこうしたかったんでしょうね、法界坊は。

text=Kentaro Okuda illustration=Akane Uritani
2020年5月号 特集「日本人は何を食べてきたの?」


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