TRADITION

こんな時代にこそ必要な落語の “笑い”
落語家 立川談慶

2020.6.10
こんな時代にこそ必要な落語の “笑い”<br>落語家 立川談慶

“笑い”の芸能・落語は戦乱の時代に生まれ、ストレスの多い時代に発展してきました。落語家・立川談慶さんは、コロナ禍でストレスフルな環境にあるいま、落語の“笑い”が必要だと語ります。こんな時代だからこそ、落語に親しんでみてはいかがでしょう。

立川談慶(たてかわ・だんけい)
1965年生まれ。慶應義塾大学卒業。ワコールに入社し3年間会社員を体験。1991年、立川談志18番目の弟子として入門。前座名は「立川ワコール」。2000年に二つ目昇進。「立川談慶」となる。2005年、真打昇進。著書に『教養としての落語』(サンマーク出版)など

いまこそ「笑い」が必要

政府からの外出自粛要請に伴い、夏頃までの落語及び最近増えてきた講演の仕事がほぼほぼ飛んでしまいました。延期ならまだしも中止になったりするたびに、「時節柄賢明なご判断です」という強がり返事を一体何度やったきたことでしょうか。もう慣れましたが。つらいのは私だけではありません、いや、全落語家、もっというなら「オール接客者受難の時代」なのですもの。

だからこそ、私は「笑い」が必要だと常々考えておりまして、Facebookには、「この人だったら、いまこんなことを言っていそうだよな」という著名人のキャラに応じた「捏造ネタ」をつくっては皆さまに喜んでいただこうとしています。落語家ですもの。

たとえば、安倍昭恵さんだったら、「昨日、町に出てみたら、いつもの時に比べ人がほとんどいませんでした。何かあったのでしょうか」とか能天気につぶやいていそうです。小泉進次郎さんだったら、あくまでも爽やかに「東京オリンピックが来年に延期になりましたね。私は延期より2020年に開催すべきではないかと思っています。これから安倍首相に進言します」と言いそうです。また麻生太郎さんだったら、「何が緊急事態宣言だ。大体そんな難しい字、読めないよ」と不遜に言ってのけそうですよね。

日々更新し続けてゆくと、喜んでいただく方の反応も確実に日増しに強くなってきているようにも感じ、芸人冥利だなあとつくづく思っています。月去り星は移るとも、おそらく過去の落語家たちもSNSというメディアはなかったにしろ、何らかのかたちでこうして世情のアラをネタにしてきていたのでしょう。

過酷な環境下に元気を与える芸能

こんなとき、過去の先輩落語家たちに思いを馳せてみたくなります。そうなんです。もともとは落語は、いま令和の現代のコロナ禍も含めて、ストレスフルな過酷な環境のもと、愛され続けてきたのです。

落語家の祖先は、諸説ありますが、当時の最高権力者である豊臣秀吉の御伽衆として仕えていた曽呂利新左衛門だといわれています。いまの新型コロナウイルスが天災だとすれば、戦国時代はある意味人災の極致です。下剋上という世は、誰もが天下を取れる可能性は確かにありますが、身内ですら心を許すことのできない血で血を洗うような社会でもあります。いつ誰が寝返るかわかりません。そんな秀吉の心を寛がせたのが曽呂利新左衛門でした。

ある日、秀吉が愛でていた松の木が枯れてしまいます。秀吉は、「ああ、大事にしていた松が枯れてしまった。俺の人生はこれまでか」と思い詰めてしまいます。すると新左衛門、「ご秘蔵の常盤の松は枯れにけり 千代の齢を君に譲りて」と即座に歌い上げました。

要するに、「この松が枯れてしまったのは、千代にもわたって生きるはずの自らの寿命を秀吉公に譲ったのですよ」といういわば「見方変え」です。これを機に「ああ、そうかそういう見方もあるのか」と秀吉が元気になったという、拙著『教養としての落語』にも書きましたが、まさに落語的視点そのものです。またこの曽呂利新左衛門は実在していなかったかもしれないという点がかえってミステリアスな気にすらなりますな。

かような見方変えというか「視座外し」が落語及び落語家の真骨頂ではないかと私は確信しています。宗教学者の釈徹宗先生と先日対談させていただきましたが、「落語をはじめとする芸能にはそのような『関節を脱臼させる』効能があった」とのことでした。まさに言い得て妙であります。昔から、社会が難儀な局面を迎えるたびに、落語や落語家はそうやって大衆を元気づけてきたのでしょう。

人間の「業」を肯定してくれる

続いて、実在した落語家で江戸落語の祖とも呼ばれる鹿野武左衛門について調べてみました。すると、いまのこの現代を象徴するかのような記述がそこにありました。

江戸で1693(元禄6)年にコレラが流行し1万数千人以上が死亡しましたがその際に「南天と梅干しの実が効く」という風評が広がったそうです。重く見た時の幕府は、その発端を追及した結果、半ば濡れ衣のようなかたちですが武左衛門に行き着きます。そしてその責任を問い、大島に島流しにしてしまった。

いやはや、「疫病に対するデマ」は文明が発達したはずの現代においてもまったく変わっていません。時代は変わっても相変わらず人間は変わらないまんまだなあと呆れもしますが、なぜか安心もします。

そんな「人間の普遍性」を優しく見守り続けてきたのが、落語なのです。そしてそんな人間のだらしなさ、駄目さ加減を「業」としてとらえ、そしてその業を肯定しているからこそ落語は素晴らしいのだと定義したのが師匠の談志でした。

『粋興奇人傳』(部分)/都立中央図書館特別文庫室蔵

日本の風土が落語を生んだ

地政学的見地から見てみましょう。元来日本人はまじめそのものでした。地震は毎年といっていいほど多発しますし、まるで台風の通り道にも位置した国ですから自然災害も頻繁に発生します。こんなふたつの災禍がデフォルトになった国に育つと、受け入れる国民もまじめに育ちます。いや、まじめでないと生きてゆけません。

「我思うゆえに我あり」なんて言うヨーロッパ流の個人主義をこの国で唱えていたら、「お前そんなこと言っている暇あったら、瓦礫片づけるの手伝え!」と言われるのがオチですわな。こんな日々の積み重ねが自己主張よりも周囲への気遣いを優先し、何よりも「共感」を重んじる気風を生み、その集大成が落語という文化につながっていったのではと推察します。

そして今度は、歴史的に見つめてみましょう。豊臣秀吉に象徴される戦国時代に終わりを告げたのは徳川家康でした。「厭離穢土、欣求浄土」という旗印を掲げて天下統一を成し遂げた男は徳川三百年という世界史的に見ても驚異の泰平の世の礎を築きました。

確かに戦乱はなくなりましたが、後に当時で世界最大規模の100万人もの人口を有するまでになった江戸の町は、九尺二間という狭い長屋に数人で住まざるを得ない窮屈なコミュニティを末端の町人たちに要求することになりました。戦国時代との交換条件とはいいつつも、これはこれでまた別の意味でストレスフルだったはずです。

「狭い空間」での緊張関係は、まずは「世辞愛嬌」がその緩和装置として働きやがてそれがエチケットとして定着してゆきます。かような庶民のもめごとを起こさない知恵が、やがて宝庫となる格好で落語が生まれ機能していったともいえるはずです。

以上、地政学的にも歴史的にも、落語がこの国に必然的に発生した理由がつかめてくる感じがしませんか。まさに「見方」を変えると、我々のご先祖さまが「どうせ俺たちの子孫は、俺たちに似てまじめで偏りがちになるはずだ。だったら後世にまで残るプレゼントをしてやろうじゃないか」との思いで代々受け渡され続けてきたもの、それが落語なのだともいえるのではと、私は確信しています。

いまこの時代に聞きたい話

いままたこの令和2年のこのご時世は、そんなまじめ基調から「不寛容」に傾きつつあるような気がします。他人のしくじりやミス、ふざけた言動を許しにくい雰囲気が漂いはじめています。そんな空気感が行き渡れば、全体主義、原理主義へと陥りやすくるのではないかと、私はひそかに危惧しています。

そこで処方箋のように取り上げたいのが、「後生鰻」という短いネタです。いやあ、オチはかなりのブラックユーモアで、ぞっとしますなあ。あくまでも落語だからこそ成立する噺です。

でも、この噺、「正しいことだと思っていても、それが極端に走ると誰も幸せにしないぞ」という原理主義の怖さをさりげなく訴えているとしか思えないほどの深い話なのではないかと思うのです。「正論を突き詰めると、こういう具合になってしまうから気をつけようぜ」というメッセージがじわりと浮かび上がって来るような気がしませんでしょうか?

やはり「見方変え」なのです。だってもともと「人間なんて駄目なもの」なんですもの。もしかしかたら、駄目な人間たちに正論なんてそもそも必要ないのかもしれません。いい加減さを糾弾するのではなく、お互い許し合うような社会になればもっと楽になれそうな気がしませんか?

YouTubeで名人芸を知る

ほんと落語って素晴らしいのです!!

……とはいっても、いま寄席などのライブ会場ではなかなか落語をじかに味わうことができにくくなっています。 そこで、提案したいのがYouTubeです。こちらで過去の名人たちの落語にこの際ぜひ触れてみてください。「後生鰻」ですと、いろんな演者がやっています。中でも古今亭志ん生師匠などはほんとあのふわふわした口調が病みつきになります。演目の数も豊富です。張り詰めた空気が確実に和らぎます。

その長男の先代金原亭馬生師匠の「笠碁」、そして次男の古今亭志ん朝師匠の「お見立て」は絶品です。ぜひご自身で探ってみてください。

落語もオンラインで楽しむ時代

そしてさらに。長引きそうなこんなご時世にハマりそうなのがZoomです。Zoomとはもともと「遠隔会議用」に開発されたアプリでしたが、講演はもちろん、落語にも向いているなあと先日落語会を企画していただきその将来性に手応えを感じました。私は着物に着替えてスマホの前に座っていつものように講演と落語を展開します。お客さんからの笑い声などリアクションはダイレクトにはありませんが、それを想像することで充分落語は成り立つと直感しました。

「必ず聞いてくださっている」というように、まずこちら発信者側が信頼関係をもとうとすると、受信者側の視聴者たるお客さまもそれに呼応してくれるような間柄は、とても気持ちのいいものでした。

「物理的な距離感があっても心理的な距離感がそれを乗り越える」。この新型コロナウイルスがもたらした副産物、大事にしたいなあと思います。
明けない夜はありません。山より大きな猪も出ないはず。みんなでこの国難、いや世界難を乗り越えてゆきましょう。

「後生鰻」あらすじ

さる大家のご隠居さん、信心家で、それゆえいい暮らしもできているせいか、いまは家督を倅に譲って悠々自適の日々。「殺生はいけない」と南無阿弥陀仏を唱えては生き物を助けるのが趣味。

ある日このご隠居さんが、鰻屋の前で鰻を割こうとしている主を呼び止め、殺生するなと問い詰め、「商売ですから」と言い張る主人から鰻を購入し前の川へドボンと逃がして、「ああ、いい功徳をした」と念仏を唱える。毎日毎日、鰻を買って前の川へに逃がすだけなので鰻屋にしてみれば儲かるので大喜び。

ところがそのご隠居がぱったり来なくなる。しばらくしてから久しぶりにそのご隠居が店に向かって歩いて来た。買ってもらえるぞと思ったが、鰻を仕入れていなかったことに気づく主。「弱ったなア、爺さん、こっちに来るよ、何か生き物は?」とふと気づくと、女房が赤ん坊を背負っている。

こっちへ寄越せよと、なんとその赤ん坊をまな板の上に乗せて割こうとする。

慌てたご隠居がその赤ん坊を、金を払って買い取り、前の川へドボン。「ああ、いい功徳をした」


執筆=2020年4月13日
text=Risaburo Endo illust=Takako Shukuwa
2020年6月号 特集「おうち時間。」


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