〈江戸時代〜明治以降〉
日本のスパイスの歴史
わさびや生姜、七味唐辛子……。いまや日本人の食生活に欠かせない「スパイス」は、どのようにして日本で親しまれるようになったのか。その歴史をひも解こう。今回はエスビー食品制作協力のもと、江戸時代〜明治時代以降に日本でスパイスがどのように使われていたのか、その役割に迫る。
〈江戸時代〉
わさびの栽培は江戸幕府が奨励?

日本最古の薬物辞典『本草和名』にも記載があり、平安時代にはすでに薬味として食用利用もされていた「わさび」。古くから各地に自生していたようだが、「栽培」がされるようになったのは、江戸時代初期の頃。
静岡県の有東木沢の源流となる佛谷山、通称「ワサビ山」に自生していたものを湧水の源流に移植したことがはじまりと見られる。このわさびを徳川家康に献上したところ、絶賛。徳川家の紋が「葵」であったこともあり、門外不出の品として栽培が奨励された。江戸時代後期には、わさびを挟んだ握り寿司がブームとなり、定番の薬味となっていった。

〈明治時代〜〉
いまや国民食!カレー文化の到来

明治時代になると、文明開化とともに西洋文化が日本に流入する。食文化もしかり。洋食化の波が押し寄せ、イギリスからは「カレーライス」が到来した。カレー自体はインドが発祥。だがスパイス戦争におけるアジアでの利権獲得のため、イギリスが「東インド会社」を設立。その社員がカレーの原料と南インドで主食だった米を持ち帰り、組み合わせたことで、カレーライスとして日本にやってきたのだ。

1872年に出版された料理本『西洋料理指南』には、日本ではじめてカレーのレシピが登場。大正初期になると、いまでは定番の「ジャガイモ、タマネギ、ニンジン」が具材に。さらに家庭用のカレー粉の販売や、栄養価の高さから「学校給食」にも採用されたことで、「カレー」は日本の国民食の地位を築いた。
日本でもサフランの栽培?

パエリアへの色づけや香り高いサフランライス……。料理に彩りをもたらすだけでなく、漢方にも使用されている「サフラン」。実は日本でも栽培されていることを知っているだろうか。はじめて日本で栽培されたのは明治時代。神奈川県大磯町で栽培がはじまった。その球根を吉良文平が大分県竹田市に持ち帰り、室内で栽培・収穫をする独自の方法を編み出した。「竹田式」と呼ばれるこの栽培方法は120年以上受け継がれ、竹田市は現在国内生産量の約8割を担う一大生産地となっている。
戦中・戦後の国内
スパイス栽培の潮流

文明開化によってもたらされた“西洋料理”。当初は限られた人々のものだったが、徐々に大衆が楽しめる食へと変化。「カツレツ」や「ライスカレー」などは、洋食の原型として庶民にも親しまれるようになった。そんな中、第二次世界大戦が開戦。需要が高まる洋食に欠かせないスパイスの輸入も困難を極めた。そこで、クミン、コリアンダー、フェネグリークは、国内での栽培に挑戦。寒さに弱いクミンを除く2種の栽培・収穫に成功した。終戦後は、スパイスの輸入も拡大したことから、次第に国内栽培は落ち着いていったようだ。
line
text: Discover Japan cooperation & photo: S&B FOODS
2025年11月号「実は、スパイス天国ニッポン」































