《寄港地》として栄えた久留米島
|キーワードで探る琉球王国の秘密③
15世紀から19世紀まで、約450年間存在した琉球王国。アジアの貿易拠点として栄えた海洋国家の姿を、琉球歴史研究家の賀数仁然さんの解説のもと、4つのキーワードでひも解いてきます。
今回のキーワードは“寄港地”。多くの船が寄港した久米島で見られる交易の歴史を物語る史跡や建造物のほか、海の王国を体感できる沖縄のスポットを紹介します。
中国と久米島の意外な関係
那覇港から西におよそ100㎞にある久米島。琉球の時代、ここの真謝港には、天候回復、風待ちをする多くの船が寄港しました。港近くの集落には、いまも天后宮という廟があります。中国の航海安全の神さまです。1756年に尚穆王の即位祝賀のためにやって来た中国人が、嵐に巻き込まれ、久米島の人たちに救助されたことから建築されました。中に祀られた神さま、媽祖のお姿は、まるで中国ですが、建物は赤瓦で沖縄風なのも興味深いですね。ちなみに、救助された中国人たちですが、台風が近づいているので久米島に上陸するか、一気に那覇港に進んでくださいと、琉球側の再三にわたる注意を無視しての出来事でした。久米島で世話になったので、首里王府に天后宮建造を中国側から依頼したそうです。いずれにせよ、久米島が国際的な海洋航路の拠点として重視されていたことが見て取れますね。
お茶ブームにのっかった!?天目茶碗の裏話
久米島北部山系、標高約310mの宇江城岳があります。その山頂に宇江城城跡という城跡があります。発掘調査で興味深いものが大量に見つかりました。14世紀から15世紀の天目茶碗です。当時の日本にはお茶ブームが到来。禅宗の僧侶から武家まで広がっていました。茶器は海外のものが珍重されていました。福建省には建窯という、南宋の時代から栄えた陶器の窯がありました(現在の福建省南平市)。福建といえば、琉球船。この時代は琉球の大交易時代ともいわれていました。
福建の港には琉球船が出入りしていました。天目茶碗は日本への転売品として、取引されていたようです。琉球にもお茶の文化はありました。実際、首里城でも天目茶碗はたくさん出土しています。しかし問題は久米島。宇江城城跡で見つかった天目茶碗は、明らかに久米島だけで使用する量を超えていました。日本へ転売する商品ではなかったかといわれています。ここだけの話、天目茶碗は、目利きが「いい仕事されています」と評価すれば、多少難ありでも、「味」として、高値となる場合もあったとか。琉球からするとスリリングかつ魅力的な輸出品目だったようです。
<いまも見に行ける・体験できる“海の王国”>
浦添市美術館
『琉球交易港図屏風』のレプリカや琉球漆器を展示。琉球王国の文化や歴史を間近で学ぶことができる。
住所|沖縄県浦添市仲間1-9-2
Tel|098-879-3219
開館時間|9:30〜17:00(最終入館16:30)、金曜〜19:00(最終入館18:30)
休館日|月曜
料金|300円
https://urasoe-artmuseum.jp
沖縄県立博物館・美術館
万国津梁の鐘(旧首里城正殿鐘)を展示しており、30分ごとに音が聴ける。沖縄の歴史に想いを馳せよう。
住所|沖縄県那覇市おもろまち3-1-1
Tel|098-941-8200
開館時間|9:00〜18:00(最終入館17:30)、金・土曜〜20:00(最終入館19:30)
休館日|月曜 ※不定休あり
料金|展覧会によって異なる
https://okimu.jp
琉球村
恩納村にある観光施設。昔ながらの水牛が砂糖車を回して搾る光景を見学することができる。
住所|沖縄県国頭郡恩納村山田1130
Tel|098-965-1234
営業時間|9:30〜17:00
定休日|なし
料金|2000円
www.ryukyumura.co.jp
世持(よもち)神社
製糖法及びサツマイモを琉球にもたらした儀間真常や野国総監、三司官の蔡温が祀られている。
住所|沖縄県那覇市若狭1-25-11
Tel|098-868-3697(波上宮)
三重城(ミーグスク)
那覇港の突端にあるグスク跡。琉球王国時代には、那覇港から旅立つ船舶を見送る場所でもあった。葛飾北斎の『琉球八景 臨海湖声』では、那覇港を守る三重城の姿を確かめられる。
住所|沖縄県那覇市西3-2-35
Tel|098-917-3501
営業時間|見学自由
定休日|なし
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01|“東アジアのハブ”として栄えた海の王国・沖縄
02|広くアジアを結ぶ琉球船の“貿易ルート”
03|“寄港地”として栄えた久留米島
04|貿易が生んだ多彩な琉球の“食文化”
Text: Hitosa Kakazu
Discover Japan 2024年7月号「沖縄」