TRADITION

万国津梁。
琉球王国はアジア貿易のハブだった
沖縄の豊かな文化のルーツを探る
「琉球王国」の歴史|Part 1

2022.8.11
万国津梁。<br>琉球王国はアジア貿易のハブだった<br><small>沖縄の豊かな文化のルーツを探る<br>「琉球王国」の歴史|Part 1</small>
『琉球交易港図屏風』
沖縄・浦添市美術館蔵

日本史でいえば室町時代から明治時代まで、約450年という長きにわたって続いた琉球王国。東京国立博物館で開催中、九州国立博物館に巡回する沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」で出合える文化財の紹介を含め、現代の沖縄につながる独自の歴史と文化をひも解く。

★印の作品は、沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」 九州会場の展示予定作品です。詳細は展覧会公式サイトでご確認ください。

アジアの海を渡り歩いた
海洋交易の中心国

中国との朝貢貿易により、アジア各地を結ぶ中継貿易で繁栄した琉球王国は、自らを「万國之津梁(ばんこくのしんりょう)」=世界の架け橋と称した。そこには、琉球王国の気概と矜持が込められている。

14世紀末から16世紀の琉球王国の貿易の様子
中国から冊封(さっぽう)を受けて朝貢国となった王国は、皇帝に貢物を献上し、その返礼として皇帝が文物を下賜するという朝貢貿易を足掛かりに、日本や東南アジアとも積極的に交易を行った。その結果、琉球を経由して中国の産品が日本や東南アジアへ、日本や東南アジアの産品が中国へ渡るようになり、この中継貿易によって王国は巨利を上げた

日本列島の南西部、九州と台湾との間に約1000㎞にわたって連なる琉球列島。12~13世紀頃になると、各地にグスク(城塞、集落、祭祀などの場)が築かれ、村落をまとめる按司(あじ)(首長)が現れた。中でも沖縄本島では、勢力同士がぶつかり、統合を繰り返しながら、1380年代までに山北(さんほく)、中山(ちゅうざん)、山南(さんなん)と呼ばれる3つの大きな勢力が鼎立する三山時代を迎えた。そのうち本島南部の佐敷(さしき)グスクの按司・尚巴志(しょうはし)が1406年に中山王を倒し、その後に山北、山南も滅ぼして三山を統一。1429年に琉球王国が誕生した。

琉球列島では、グスク時代以前から中国や東南アジアなどと交易を行っていたが、1371年に明が民間人の海上交易を禁止(海禁)。交易は冊封関係、つまり宗主国と朝貢国という君臣関係を結んだ国との朝貢貿易に限定すると、三山時代にはそれぞれの王が明に進貢。これに対して明は、朝貢の頻度を無制限とし、大型海船を無償で提供、外交・航海を支える人材を派遣するなど、琉球に対してさまざまな優遇措置をとった。その結果、琉球は日本や東南アジアなどの海外産品を中国に供給する役割と、中国の産品を入手し、日本や東南アジアへ供給する役割をほぼ独占することになった。

『琉球交易港図屏風』
中国から帰国した進貢船をはじめ、唐船(とうせん)や競う爬龍(はーりー)船などで賑わう那覇港内外と、多くの人が行き交う街並みが描かれている。画面右奥には首里城も見える

沖縄・浦添市美術館蔵

琉球王国時代になると、貿易を国の直営事業とし、アジア各地に貿易使節船を派遣。琉球の硫黄や馬、夜光貝などを中国に献上し、代わりに陶磁器や絹織物などを入手して、シャム、マラッカ、スマトラなどの東南アジアや日本へ再輸出した。一方で、東南アジアで入手したコショウや蘇木(そぼく)を中国や日本へ、日本で入手した刀剣や扇子、屏風を中国や東南アジアに再輸出した。

この中継貿易によって、王国は大繁栄。1458年に国王・尚泰久(しょうたいきゅう)の命でつくられた銅鐘の銘文がその栄華を物語る。中でも王国の矜持を最もよく示しているのが「万國之津梁」という表現。津梁は架け橋のこと。中国と日本の間にある王国は楽園であり、船による交易を通して世界の架け橋となっていると、誇らしげに宣言している。その自負通り、約200年にわたってアジアの海上貿易のハブとして栄えた王国は、15世紀後半から16世紀にかけて黄金時代を迎えた。

重要文化財 『銅鐘 旧首里城正殿鐘(万国津梁の鐘) (どうしょう きゅうしゅりじょうせいでんしょう(ばんこくしんりょうのかね))』
仏教に深く帰依した、第一尚氏第6代国王・尚泰久の命で鋳造された鐘。もともとは首里城正殿に掛けられていた。表面に刻まれている銘文は、王国内にあった相国寺の住職・渓隠安潜によるもの

藤原国善作
第一尚氏時代・天順2年(1458)
沖縄県立博物館・美術館蔵

重要文化財に刻まれた琉球王国の誇り
銘文の意訳(特別展「琉球」の展示解説より)

琉球は南海に浮かぶ素晴らしい地である
朝鮮よりすぐれたものを集め、
中国とは車輪と添え木のように、
日本とは唇と歯のように互いに助け合う関係となった
まさにこの二つの国の間に湧き出た楽園である
船をもって万国の架け橋となり、国中に珍品宝物があふれ、
人びとのあいだには日本、中国の尊い教えが伝わっている
わが大世主は庚寅(かのえとら)(一四一〇年)に
お生まれになった尚泰久である
神に国王の位を賜り、豊かな土地で人びとを育む
仏教を広めるために新しく大きな鐘をつくり、
首里城正殿前に掛けた法典を中国古代に定め、文武を歴代王に学び、
下はこの世の民を救い、上は末永く栄える王位を願う
恐れ多くも、相国寺(そうこくじ)住職
渓隠安潜(けいいんあんせん)に命じて銘を求めた
銘いわく、須弥山(しゅみせん)の南のほとりに天地は広く続き、
わが国王が現れて苦しむ人々を救う
悟りを開く仏道(玉象)も鳴り響く鐘音(華鯨)も四海に満ち、
仏の声を轟かせ、長い迷いの夢から目覚めて天も喜ぶほどの
真の心をもたらす
堯(中国の聖帝)の徳が末永く行き渡り、
舜(中国の聖帝)の太平はますます続く

 

三山統一からはじまった
琉球王国の事件簿

 
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監修=沖縄県立博物館・美術館学芸員 伊禮拓郎さん
参考:東京国立博物館ほか編『沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」』図録(東京国立博物館、九州国立博物館、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社)、JCC出版部著『絵で解る琉球王国 歴史と人物』(JCC出版)、上里隆史著『誰も見たことのない琉球』(ボーダーインク)、沖縄県立総合教育センター 「琉球文化アーカイブ」(http://rca.open.ed.jp)、日本芸術文化振興会「文化デジタルライブラリー」 (www2.ntj.jac.go.jp

text: Miyu Narita illustration: Minoru Tanibata
Discover Japan 2022年7月号「沖縄にときめく/約450年続いた琉球王国の秘密」

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