《東アジアのハブ》として栄えた海の王国・沖縄
|キーワードで探る琉球王国の秘密①
15世紀から19世紀まで、約450年間存在した琉球王国。アジアの貿易拠点として栄えた海洋国家の姿を、琉球歴史研究家の賀数仁然さんの解説のもと、4つのキーワードでひも解いてきます。
今回のキーワードは“東アジアのハブ”。中国風、韓流、和風など、沖縄が感じさせる雰囲気の根源に迫ります。
アジア文化が交わる海洋貿易の中心地
「沖縄って、どっかしら中国風だ」、「首里城は韓流歴史ドラマのような……」、「いやいや沖縄の市場は東南アジアみたいだ」、「ちょっと待って、沖縄の御嶽(祈りの場)ってさ、日本の古い神道の佇まいが残っているんじゃない?」などと、沖縄に住んでいるとよく耳にします。理由を言うと、「日本ではない、琉球という別の国だったから」ということになるのですが、まさに『琉球交易港図屏風』がズバリその答えを物語っています。
この絵は、六曲一隻の屏風ですが、王国時代の港の賑わいが表現されています。まず、第三扇(右から数えて3枚目)の上部に描かれた琉球の交易船に注目していただきたい。右舷(船体の向かって左側)に、なにやらにじんだ部分があります。コレは煙なのです。琉球の交易船が、無事帰国したことで、祝砲を撃っている状況です。琉球船は、海賊対策として大砲を備えていました。ちなみに、祝砲では砲弾は入っていませんので、ご安心を。
これが鳴ると、港から迎えの小舟がやって来て、ちょうどその下部に描かれているように、着岸できるところまで牽引します。日本、中国、朝鮮、東南アジアの国々。琉球船はさまざまな国へ帆を掲げ、優れた文物・文化を運びました。いまでいうと、最新のスマホなどを持って帰るようなものです。みんな大騒ぎです。沖縄の祝宴の最後に『唐船ドーイ』という、踊りに使用される賑やかな音楽がありますが、あの曲で、チャンカチャンカしているのは、まさに、この状況なのです。船が戻って来たぞ〜ってことですね。琉球は、アジア文化の交差点といわれることもありますが、各国の文化が組み合わされ、モザイクとなり、カスタマイズされ、長い時間をかけて、継ぎ目がわからなくなったと考えていいでしょう。
現在のこの絵の港ですが、那覇空港から那覇市街地に向かう際に通ります(近年完成した那覇うみそらトンネルを使わず地上からのアプローチ)。左手の金網に閉ざされた、米軍基地の中に見える港がそうです。半分が基地になっていますので、地元では「那覇軍港」と呼ばれていますが、かつては屏風絵のように栄えた港でした。15世紀の朝鮮国の記録『李朝実録』によると、チャイナタウンが形成され、中国商人や、日本人の姿が描写されています。シャム国(現在のタイ)の船も来港していました。これが文化の源泉です。先の中国風、韓流、和風それぞれを感じるのはこの港に秘密があるのです。そうそう、戦後は、さらにアメリカ文化も流入し、いつの間に溶け込み、独特の文化を形成しているのでした。
line
≫次の記事を読む
監修・文=賀数仁然(かかず ひとさ)さん
1969年、那覇市生まれの琉球歴史研究家。沖縄県内メディアにて琉球の歴史文化を楽しく発信。映画・ドラマの脚本・監修から旅行企画やガイドも手掛ける
01|“東アジアのハブ”として栄えた海の王国・沖縄
02|広くアジアを結ぶ琉球船の“貿易ルート”
03|“寄港地”として栄えた久留米島
04|貿易が生んだ多彩な琉球の“食文化”
Text: Hitosa Kakazu
Discover Japan 2024年7月号「沖縄」