TRADITION

知れば知るほどおもしろい
琉球王国のおもてなし外交術
沖縄の豊かな文化のルーツを探る
「琉球王国」の歴史|Part 4

2022.8.11
知れば知るほどおもしろい<br>琉球王国のおもてなし外交術<br><small>沖縄の豊かな文化のルーツを探る<br>「琉球王国」の歴史|Part 4</small>
photo: Paylessimages

日本史でいえば室町時代から明治時代まで、約450年という長きにわたって続いた琉球王国。東京国立博物館で開催中、九州国立博物館に巡回する沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」で出合える文化財の紹介を含め、現代の沖縄につながる独自の歴史と文化をひも解く。

★印の作品は、沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」九州会場の展示予定作品です。詳細は展覧会公式サイトでご確認ください。

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冊封使(さっぽうし)歓迎の大宴会は
王国最大の外交行事

交易が盛んだった琉球王国は、海外のさまざまな文化を融合し昇華させた、独自の〝チャンプルー文化〟を育んだ。漆器や染織物などのものづくりはもちろん、外交に欠かせない〝もてなし〟にもその精神が垣間見える。

中国と君臣関係にあった琉球王国では、王の即位に際して、皇帝の命を受けた冊封使が御冠船(うかんしん)で派遣された。数百名に上る一行は約半年間滞在。王府は、国王主催の7つの大宴会「七宴(しちえん)」で歓待した。その場には、王府が中国に派遣して学ばせた料理人による宮廷料理や御用酒である泡盛が並び、琉球ならではの紅型(びんがた)の衣裳をまとっての芸能が披露された。御冠船踊と呼ばれたこの芸能は、王国の重要な外交行事で、担当する踊(おどり)奉行という役職があったほど。

1719年、尚敬(しょうけい)王の冊封(さっぽう)時に踊奉行となった玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)は、能や狂言、歌舞伎など日本の芸能と、中国の演劇に着想を得た組踊(くみおどり)を創作。台詞、音楽、踊りで構成する歌舞劇で、冊封使の歓待として上演するため、演目は忠や孝など儒教道徳に通じるテーマでハッピーエンドが基本。そのかいもあって好評を博し、以来、組踊は御冠船踊の中心となった。

高度なものづくり力が
外交と貿易を支えていた!

アジアの海上貿易のハブとして栄えた琉球王国にはさまざまな工芸品と技法が伝わった。それらを取り入れながら独自の文化を生み出すのが琉球のものづくりの真骨頂。中でも漆器は、貝摺(かいずり)奉行所という王府管理の工芸所が設けられ、その製品は中国皇帝や徳川将軍、薩摩藩へ献上された

国宝 『金装宝剣拵(号 千代金丸)(きんそうほうけんこしらえ(ごう ちよがねまる))』
(琉球国王尚家関係資料)★

薄い金板を全面に巻いた鞘、柄頭(つかがしら)の頭椎(かぶつち)形と取り付けられた鐶(かん)は琉球独自のデザイン

刀身|室町時代・16世紀
拵|第二尚氏時代・16~17世紀
沖縄・那覇市歴史博物館蔵

刀身は日本、こしらえは琉球メイド
刀剣は琉球王国の主要な貿易品であり、皇帝から派遣される冊封使や薩摩藩の役人への土産の定番でもあった。尚家に伝わる3つの宝刀は、いずれも刀身自体は日本製だが、鞘や柄などのかたちや文様に琉球ならではのデザインが施されている

国宝 『青貝螺鈿鞘腰刀拵(号 北谷菜切)(あおがいらでんさやこしかたなこしらえ(ごう ちゃたんなあちり))』
(琉球国王尚家関係資料)★

鞘は夜光貝の螺鈿で覆われ、柄にはサメ皮のように打ち出した金板を貼り、金具回りには魚々子(ななこ)地に蓮華唐草文を刻む

刀身|室町時代・15世紀
拵|第二尚氏時代・16~17世紀
沖縄・那覇市歴史博物館蔵

時代が変わっても明朝スタイルが好き!
明代には、国王の即位に際して、任命書とともに皮弁冠(ひべんかん)と呼ばれる王冠と皮弁服という儀礼用の冠服一式が下賜されたが、清代になると反物の状態で届けられるようになった。そのため国内で仕立てることになったが、清の官服は筒袖のため、明風のたもとの長い衣裳をつくるには生地が足りず、布を継ぎ足して仕立てている

国宝 『赤地龍瑞雲嶮山文様繻珍唐衣裳(あかじりゅうずいうんけんざんもんようしゅちんとういしょう)』
(琉球国王尚家関係資料)★

琉球国王が国の公式行事に着用した正装用衣裳。唐御衣裳、皮弁(ひべん)服、御蠎緞(うまんとん)とも呼ばれる

第二尚氏時代・18~19世紀
沖縄・那覇市歴史博物館蔵

紅型の文様は日本の影響大?
紅型は天然顔料と植物染料による鮮やかな色彩が特長の型染め。琉球王国では、色や文様に身分や階級によって決まりがあった。文様の中には琉球では見られない植物や雪、鶴など、四季を映すものや伝統文様といった日本由来のものも多い

国宝 『白地流水蛇籠鶴菖蒲文様紅型苧麻衣裳(しろじりゅうすいじゃかごつるしょうぶもんようびんがたちょまいしょう)』
(琉球国王尚家関係資料)

菖蒲と鶴は日本の文様だが、日本では一緒に描いた意匠はまずない。菖蒲が四季の文様であるという観念がない琉球こその意匠といえる

第二尚氏時代・18~19世紀
沖縄・那覇市歴史博物館蔵
国宝 『黄色地鳳凰蝙蝠宝尽青海波立波文様紅型綾袷衣裳(きいろじほうおうこうもりたからづくしせいがいはたつなみもんようびんがたあやあわせいしょう)』
(琉球国王尚家関係資料)★

文様のモチーフや配置に、中国と日本の正装の形状が融合した華やかな振袖。黄色地の衣裳は王家のみが使用できる特別なものだった

第二尚氏時代・18~19世紀
沖縄・那覇市歴史博物館蔵

位を表す王冠の飾り玉が
皇帝より多くなっちゃった?

金筋にカラフルな玉を取り付け、金のかんざしを挿した琉球国王の礼冠。皮弁冠(ひべんかん)と呼ばれ、明では位階に応じて金筋の数や飾り玉の色・数が厳密に決められていた。ところが、現在残る本品は、その規定を大きく超えている。明代には、即位に際して皇帝から冠服一式が与えられていたが、清代になると冠は下賜されなくなり、補修して使ううち、皇帝をしのぐ玉数と色数の冠になったと考えられている

国宝 『玉冠(付簪)(たまんちゃーぶい(つけたりかんざし))』
(琉球国王尚家関係資料)★

現存唯一の琉球国王の皮弁冠。12列ある金筋それぞれに金、銀、水晶など7種24個、合計で288個の飾り玉が金鋲で留められている

第二尚氏時代・18~19世紀
沖縄・那覇市歴史博物館蔵
模写復元 『尚穆王御後絵(しょうぼくおうおごえ)』

琉球王国の正史『球陽』は、第二尚氏第14代国王・尚穆(しょうぼく)の時代、王冠の金筋を7筋から12筋へ改変したと伝える

東京藝術大学保存修復日本画研究室(制作)
令和2年度 一般財団法人 沖縄美ら島財団蔵

江戸でも琉球ブームが巻き起こっていた!?
幕藩体制に組み込まれた琉球王国には、徳川将軍や国王の代替わりに使節団があいさつに出向く「江戸立ち(上り)」が義務づけられた。唐衣裳に身を包み、中国伝来の宮廷音楽を演奏しながら進む行列は、行く先々で大注目。江戸立ちのたびに琉球のガイドブックや行列の様子を描いた浮世絵が流行した。また1831年には、冊封使(さっぽうし)による皇帝への報告書『琉球国志略』の和訳本が刊行された。葛飾北斎の『琉球八景』はその挿絵を参考に描いたもの

『琉球人行列図錦絵』(部分)

1832年、尚育(しょういく)王の即位に際し、王府が江戸に派遣した使節団の様子。異国情緒漂う一行の様子をひと目見ようと、沿道には人だかりができたという

琉球大学附属図書館蔵
『琉球八景 中島蕉園』

琉球の景勝地や名所を描いた『琉球八景』。そのうち、バナナの仲間である芭蕉の葉が茂る風景を描いた「中島蕉園」をはじめ、3点の錦絵に富士山を思わせる山が描かれている

沖縄・浦添市美術館蔵
歌川国芳『鎮西八郎為朝 疱瘡神』(部分)

『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』は、琉球に流された鎮西(ちんぜい)八郎(源為朝)の子が王となったという伝説が題材。写真は、江戸時代の疱瘡(ほうそう)除けの絵

東京都立中央図書館蔵

 


“神女”の祈りも王国を支えていた
 
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監修=沖縄県立博物館・美術館学芸員 伊禮拓郎さん
参考:東京国立博物館ほか編『沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」』図録(東京国立博物館、九州国立博物館、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社)、JCC出版部著『絵で解る琉球王国 歴史と人物』(JCC出版)、上里隆史著『誰も見たことのない琉球』(ボーダーインク)、沖縄県立総合教育センター 「琉球文化アーカイブ」(http://rca.open.ed.jp)、日本芸術文化振興会「文化デジタルライブラリー」 (www2.ntj.jac.go.jp

text: Miyu Narita illustration: Minoru Tanibata
Discover Japan 2022年7月号「沖縄にときめく/約450年続いた琉球王国の秘密」

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