東京・世田谷《猪股邸》
日本建築の簡潔さを高めた
“和モダン”の礎
|日本の名建築、木の居住空間
時代とともに姿や用途を変えてきた「木」を用いた居住空間。伝統を受け継ぎつつ、近代化の流れにも呼応してきた名作建築の変遷を建築史家・倉方俊輔さんに伺った。今回は、東京都世田谷区にある「猪股邸」をご紹介!
監修・文=倉方俊輔(くらかた しゅんすけ)
1971年、東京都生まれ。大阪公立大学大学院工学研究科都市系専攻 教授。専門は日本近現代の建築史。日本最大級の建築イベント「東京建築祭」の実行委員長も務める。『東京モダン建築さんぽ 増補改訂版』(エクスナレッジ)など著書多数。
日本建築の簡潔さを高めた
“和モダン”の礎

東京都世田谷区成城は、関東大震災後から東京の郊外住宅地として発展した。広い土地区画の中に建つ猪股邸は、建築家・吉田五十八の設計により1967年に竣工。後に猪股家から世田谷区へ寄贈され、1999年より一般公開されている。
吉田は近代数寄屋建築に大きな影響を与えた建築家であり、著名な政治家や実業家の住宅、料亭などを多数手掛けた。猪股邸は「吉田流」と称される手法を体感できる貴重な建築である。

広々とした庭園に面して、洋室の居間と和室の居室が配置されているが、双方の雰囲気は共通している。設計者は煩雑に感じられる柱や長押などの部材を見せないようにし、意図された木材の線だけを際立たせることで、垂直と水平を基調とした明快な空間を実現した。和の要素とモダニズムの美学とを懸け渡すこの手法が、多くの人々に受け入れられたのである。

また、室内外の連続性も強く意識されている。居間の開口部の雨戸・網戸・ガラス戸・障子戸はすべて壁に引き込むことができ、内部空間と庭園とが一体化する。このしつらえは、後年、吉田の弟子が増築した書斎にも継承され、茶室においても大きな開口部を設けることで、伝統的構成に新たな息吹がもたらされている。
複雑な敷居回りの納まりや、逃げを設けずに仕上げる部材の取り合いなど、伝統にとらわれない設計を可能にしているのは、木の住まいを通じて磨かれた職人技であることにも注目だ。
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〈概要〉
1967年、(財)労務行政研究所の初代理事長を務めた猪股猛夫妻の自邸として、世田谷区の成城エリアの住宅街に建てられた。邸内には、アカマツやウメ、ツバキなどの樹木や、スギゴケなどが生育する回遊式の日本庭園もあり、四季折々に移ろう自然が楽しめる。1998年に世田谷区へ寄贈され、1999年からは「世田谷トラストまちづくり」が管理・運営を担い、一般公開もされている
〈図面から見る猪股邸〉
玄関からホールを経て居間に至り、居間と食堂はいずれも中庭に面している。居間から庭園に沿って、夫人室、2室の和室、書斎(増築)が並び、ホールからの渡り廊下の先に茶室がある
〈建築データ〉
住所|東京都世田谷区成城5-12-19
設計|吉田五十八研究室
敷地面積|1861.7㎡
建築面積|385.13㎡
延床面積|348.79㎡(現在)
構造|木造平屋建、一部RC造
施工|水澤工務店、丸富工務店(茶室)
用途|住宅
竣工|1967年
〈施設データ〉
Tel|03-3789-6111((一財)世田谷トラストまちづくりビジターセンター)
開館時間|9:30~16:30
休館日|月曜(祝日の場合は翌日休)
料金|無料
www.setagayatm.or.jp/trust/map/pcp
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text: 倉方俊輔 photo: 傍島利浩
2025年9月号「木と生きる2025」



































