愛媛・大洲《臥龍山荘》
自然と調和する、
贅を尽くした数寄屋建築
|日本の名建築、木の居住空間
時代とともに姿や用途を変えてきた「木」を用いた居住空間。伝統を受け継ぎつつ、近代化の流れにも呼応してきた名作建築の変遷を建築史家・倉方俊輔さんに伺った。今回は、愛媛県大洲市にある「臥龍山荘」をご紹介!
監修・文=倉方俊輔(くらかた しゅんすけ)
1971年、東京都生まれ。大阪公立大学大学院工学研究科都市系専攻 教授。専門は日本近現代の建築史。日本最大級の建築イベント「東京建築祭」の実行委員長も務める。『東京モダン建築さんぽ 増補改訂版』(エクスナレッジ)など著書多数。
自然の変化と響き合う
木の建築

肱川河畔に位置するこの地は、江戸時代から優れた景勝地として知られてきた。川面に浮かぶ蓬莱山の姿が、まるで臥した龍のように見えることから、大洲藩3代藩主・加藤泰恒が「臥龍」と名づけたと伝わる。
その名と地を継承したのは、明治期に神戸で貿易商として成功を収めた河内寅次郎。郷里に余生の場を求め、肱川を望む崖上に臥龍山荘を築いた。桂離宮や修学院離宮といった王朝文化の営みに学びつつ、選び抜かれた自然素材を卓越した職人技で組み合わせ、自然の変化と響き合う木の建築がかたちづくられている。

母屋である「臥龍院」では、各部屋に四季の表現が織り込まれている。「霞月の間」では、三段の違い棚で霞を表し、床脇の丸窓から差し込む光を月に見立てている。「清吹の間」では、欄間に花筏の透かし彫りを配して春を、右手の水玉で夏を、左手の菊水文様で秋を象徴し、背後の雪輪窓が冬を示す構成。「壱是の間」では、精緻な鳳凰の透かし彫りが天井近くに据えられ、襖を開け放つことで、建物は庭園と一体となって広がる。

崖の先端に建つ離れ座敷「不老庵」は、建物全体を船に見立て、石垣から大胆にもち出した懸造。天井はゆるやかな曲面を描き、川面に映る月光を取り込む意図が込められている。柱には皮付きの杉丸太が用いられ、西側では葉の残る槇の立木がそのまま軒を支える。どこまでも自然に溶け込むように、高度な技巧が使われているのである。
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〈図面から見る臥龍院〉
臥龍山荘の敷地は肱川に沿って南北に細長く、北に入り口がある。ほどなく臥龍院が現れ、霞月の間、清吹の間、壱是の間が並ぶ。全国各地の銘木を使い、名工の技が光る平屋の名建築。
〈概要〉
「臥龍院」、「不老庵」、「知止庵(ちしあん)」の3つの建物と、肱川流域の景勝地「臥龍淵」の地形を生かして造営された庭園で構成。1978年に大洲市の所有となり、1980年からは観光拠点として一般公開されている。1982年に大洲市の有形文化財に、1985年には県の有形文化財に指定された。2016年には国の重要文化財にも指定されている。
〈建築データ〉
住所|愛媛県大洲市大洲411-2
設計|河内寅次郎
敷地面積|6700㎡
建築面積|129.72㎡(臥龍院)
延床面積|9900㎡
構造|木造、茅葺
施工|中野寅雄、草木國太郎
用途|山荘
竣工|1907年
〈施設データ〉
Tel|0893-24-3759
営業時間|9:00~17:00(札止16:30)
定休日|なし
料金|550円
www.garyusanso.jp
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12|SOWAKA(京都)
text: 倉方俊輔 photo: 一般社団法人キタ・マネジメント
2025年9月号「木と生きる2025」

































