TRAVEL

山形・米沢《上杉記念館》
和と洋の意匠が混ざり合う
上質な空間
|日本の名建築、木の居住空間

2025.11.1
山形・米沢《上杉記念館》<br>和と洋の意匠が混ざり合う<br>上質な空間<br><small>|日本の名建築、木の居住空間</small>

時代とともに姿や用途を変えてきた「木」を用いた居住空間。伝統を受け継ぎつつ、近代化の流れにも呼応してきた名作建築の変遷を建築史家・倉方俊輔さんに伺った。今回は、山形県米沢市にある「上杉記念館うえすぎきねんかん」をご紹介!

監修・文=倉方俊輔(くらかた しゅんすけ)
1971年、東京都生まれ。大阪公立大学大学院工学研究科都市系専攻 教授。専門は日本近現代の建築史。日本最大級の建築イベント「東京建築祭」の実行委員長も務める。『東京モダン建築さんぽ 増補改訂版』(エクスナレッジ)など著書多数。

和と洋の意匠が混ざり合う
上質な空間

米沢城二の丸跡に建つ、旧上杉伯爵邸である。初代の邸宅が1919年の米沢大火で焼失した後、2代目の邸宅として1925年に完成した。

設計を手掛けた中條精一郎は、戦前における最大規模の建築設計事務所のひとつである曾禰そね中條建築事務所の共同代表として広く知られる。東京帝国大学卒業後の1908年、曾禰達蔵とともに事務所を設立し、慶應義塾図書館旧館をはじめとする多くの洋風建築を世に送り出した。

米沢城二の丸跡地に造営されたが、1919年の米沢大火で焼失。その後1925年に、美しい造形の入母屋造と、耐久性の高い銅板葺きを施した屋根の建物、東京・浜離宮恩賜庭園に倣ってつくられた庭園が再建され、いまも残る

そんな中條精一郎が、例外的に個人で設計を行った作品が「上杉記念館」。その背景には、彼が米沢の出身で、若き日に設計当時の当主である上杉家15代・憲章伯爵とともにイギリスへ留学したという、特別な間柄があった。

庭園側から見る外観は背が高く、屋根よりも外壁の印象が強いため、どこか洋館を思わせる。ただし、これは家格にふさわしいしつらえであることにも関係し、内部には高い天井をもつ本格的な書院造の空間が広がっている。

1階の大広間の柱には、柾目(まさめ)が美しく残っている。20mほどの梁にも、継ぎ目のない一本の木曽檜が使用されている

大広間の付書院には、上杉家の家紋「竹に雀」をアール・ヌーヴォー調に意匠化した透かし彫りが。2階へ続く階段では、天井板を扇状に張ることで、和風の階段室が巧みに生み出されている。大広間の欄間は伝統的な筬欄間、客間には洒脱な意匠が用いられ、いずれも気品に満ちた空間を形成する。

大広間の床の間の脇に設けられた付書院(つけしょいん)の欄間(下写真)。上杉家の家紋「竹に雀」をアレンジした意匠が施されている

旧大名家の格式と、近代的なジェントルマンの邸宅の在り方とを融合させた点に、中條精一郎らしい設計の妙が見て取れる。

line

〈概要〉
1896年、第14代米沢藩主・上杉茂憲の本宅として造営され、「鶴鳴館(かくめいかん)」とも称されていたが、1919年に米沢大火で焼失。現在は1925年に再建された建造物と、東京の「浜離宮」に倣って造園された日本庭園が残っている。1979年以降は、米沢観光の中核を担う施設として、観光客や市民に開放され、郷土料理の提供や資料の展示を行う。

〈図面から見る上杉記念館〉
書院造の伝統にのっとり、建物全体は庭園に面して雁行配置されている。大広間から居間、紅の間へと次第に私的な空間になることも同様で、そこに伝統にない2階部分を組み合わせている。

〈建築データ〉
住所|山形県米沢市丸の内1-3-60
設計|中條精一郎
敷地面積|約1万6529㎡
建築面積|426㎡
延床面積|950㎡
構造|木造平屋建、銅板葺
施工|江部栄蔵
用途|住宅
竣工|1925年

〈施設データ〉
Tel|0238-21-5121
営業時間|11:00~21:00
定休日|水曜
料金|無料
https://hakusyakutei.jp

text: 倉方俊輔 photo: 上杉伯爵邸
2025年9月号「木と生きる2025」

山形のオススメ記事

関連するテーマの人気記事