伊勢参りだけじゃない!
江戸時代の庶民に人気だった参詣の旅
(成田山・善光寺・富士山)
|江戸時代の旅の歴史
日本ではじめて庶民の旅行が本格化したのは、江戸時代中期頃。全国各地に敷かれた街道が整備され、宿場町が発展したことに端を発する。当時の文学や美術をひも解くと、一世一代の冒険に沸き立つ人々の期待が見えてくる。今回は、伊勢参り以外にも人気を博した参詣の旅について、歴史家・安藤優一郎さん監修のもとご紹介!
監修=安藤優一郎(あんどう ゆういちろう)
1965年生まれ。歴史家。早稲田大学大学院文学研究科後期課程満期退学。「JR東日本・大人の休日倶楽部」の講師や江戸にかんする執筆活動など、幅広い分野で活躍中。著書に『江戸の旅行の裏事情 大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ』(朝日新聞出版)など多数。
01|成田詣
江戸っ子が手軽に行ける旅

江戸から片道1泊2日で行ける、千葉・成田山新勝寺への参詣の旅。江戸を出発して水戸街道と佐倉街道を通るルートで向かった。参拝客が増加すると「成田街道」と呼ばれるように。江戸後期には食事処や土産店が軒を連ねる門前町が栄えた。
02|善光寺参り
詣でると極楽浄土が約束された

信濃・善光寺は詣でると極楽浄土に行けるとされ、特に女性からの信仰が篤かった。東方からは中山道の追分宿から善光寺街道で参詣へ。江戸の庶民は、東海道からお伊勢参りをし、帰路は中山道経由で善光寺参りをすることが多かった。
03|富士詣
日本最高峰の霊山へ

富士山は“霊峰”として、平安時代から山岳信仰の対象だった。江戸時代には、講を組んだ集団参詣が広まり、登拝が大衆化した。信徒たちは江戸から甲州街道を通り、大月宿で富士山道へ入る。白装束に身を包み、山頂を目指したという。
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01|庶民が夢中になったお伊勢参り
02|『東海道五十三次』の魅力とは?
03|参詣の旅(成田山・善光寺・富士山)
04|「街道・旅」の娯楽作品5選【前編】
05|「街道・旅」の娯楽作品5選【後編】
text: Discover Japan
2025年8月号「道をめぐる冒険。」



































