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香川の歴史とものづくりをめぐる
塩飽(しわく)諸島のクルーズへ

2023.10.20 PR
香川の歴史とものづくりをめぐる<br>塩飽(しわく)諸島のクルーズへ

涼しい海風を感じる秋は、島旅のベストシーズン。香川の歴史とものづくりが息づく島々をクルーズ船でめぐる、アイランドホッピングツアーが新たにはじまった。

塩飽諸島のうち、今回紹介する本島、広島、手島は丸亀市に所属。丸亀港から定期便運航もあるが、クルーズ船では観光に便利な高松港から出航する

瀬戸内海の島々の中で、香川県沖に点在する大小28の島々からなる塩飽諸島。一部の島は、瀬戸内国際芸術祭の会場として、国内外から多くの観光客が訪れている。特に人々を魅了するのが、歴史的建造物とその町並み。塩飽諸島は、室町時代から江戸時代にかけて海運業で繁栄した歴史をもち、島の各所にその象徴として建てられた寺社やかつての住宅が現存する。

現代のように陸路が充実する前、かつては海上交通が主流で、備讃瀬戸は海上交通の要衝だった。そのため、潮目が変わりやすい海域をもつ塩飽諸島には、腕利きの水夫たちが多く重宝された。特に戦国時代から江戸時代にかけては「塩飽水軍」として活躍し、海運業が大きく発展。幕府海軍の主力艦「咸臨丸」の乗組員96人のうち、35人が塩飽諸島の出身者であることからも、その実力がうかがえる。

江戸時代に、この地はどこの藩にも属さない自治領としての権利を与えられていた。なぜこれほどまでに、時の権力者から信頼を得てきたのか。それは、塩飽の水夫たちがつくった船が「堅牢でよく走る」と評判だったからだといわれる。江戸時代中期になると海運業は衰えたが、もうひとつの産業であった宮大工技術を生かし、神社仏閣や住居の大工として活躍。時を経たいまでも島々に残る歴史的建造物の数々に、塩飽大工の確かなものづくり精神が見られる。

広島にある江戸時代末期に廻船業により財を成した、尾上家の住宅。長屋門、母屋など随所に塩飽大工の高い技術力がうかがえる。青木石を積み上げた石垣も圧巻で、日本遺産「せとうち石の島」の構成文化財のひとつとして登録されている

時勢の流れとともに育まれた、塩飽大工のものづくりに対する精神は、それぞれの島でいまも受け継がれている。花崗岩の採掘で発展した広島では、石積みの技術と塩飽大工の建築技術が融合した邸宅「尾上邸」をリノベーション。現在は、建物の見学や宿泊ができる施設になっている。

直売店併設の醸造所・久福ブルーイング本島では、本島周辺で採れた素材を使い、島の空気とともに醸す。そのため定番商品はなく、銘柄は都度入れ替わる。購入したビールを目の前の海辺で飲むという、贅沢な時間の過ごし方もおすすめ

また、都市部からものづくりに携わる人たちが移住し、地域に根差した活動をはじめている。伝統的な町並みも多く残る本島には、クラフトビールのブルワリーが誕生。本島をはじめ近隣地域で採れた果実、ハチミツ、瀬戸内海の塩、といった地元素材を組み合わせ、酵母無濾過、自然発泡のナチュラルビールを醸造している。

手島に魅了された陶芸家ユニットが開いた工房兼ギャラリー・てしま島苑では、土や貝殻、釉薬のもととなる植物、焼成時に使う薪まですべて手島内で調達する

手島にも、二人の陶芸家が移住。「はじまりのみえるものづくり」をテーマに、ほぼすべての素材を手島で調達し、土も休耕地や海岸に足を運んで、あらゆる素材の収集から行う。釉薬の原料となる植物は、かつて多くの農家が栽培していた唐がらし「香川本鷹」や草花などを使用。最後に島の土を積み上げてつくった薪窯で焼き上げ、手島産陶器をつくっている。

 

クルーズ船の所要時間
高松港から本島・泊港まで約50分。
本島・泊港から広島・江の浦港まで約40分。
広島・江の浦港から手島・手島港まで約30分。
手島・手島港から高松港まで約90分

読了ライン

 

江戸時代からの姿を残す
かつての塩飽水軍本拠地《本島》

 
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text: Akiko Yamashita photo: Shintaro Miyawaki, Mikuto Tanaka
2023年11月号「京都」

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