TRADITION

祝!世界文化遺産登録
北海道・北東北の縄文遺跡群

いまこそ見直したい「縄文スピリット」

2021.9.3
<small>祝!世界文化遺産登録<br>北海道・北東北の縄文遺跡群</small><br>いまこそ見直したい「縄文スピリット」
「国宝 合掌土偶/縄文時代後期」/所蔵:八戸市
風張1遺跡(青森県)の竪穴建物跡から出土。子孫繁栄などを願って制作されたと考えられる

2021年7月27日、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が新たに世界文化遺産に登録されました。なぜ、縄文時代が1万年以上も続いたのか?その理由は、縄文スピリットにあると言っても過言ではありません。日本人の生活や文化の原点というべき縄文人の精神文化の魅力を、考古学者の岡村道雄先生に伺いました。

岡村道雄(おかむら・みちお)先生
考古学者。自称“杉並の縄文人”。宮城県東北歴史資料館、文化庁、奈良文化財研究所などで勤務。三内丸山遺跡の発掘調査などにかかわり、縄文遺跡群世界遺産登録推進専門家委員会委員も務めた。著書に『縄文の列島文化』(山川出版社)などがある。

Q. 縄文が世界に評価される理由はなんですか?

A. 自然に寄り添う営みと縄文スピリットです!

約1万5000年前、氷河時代が終わり、温暖化がはじまると、日本列島には現代と同じような自然環境が生まれた。新しい環境がもたらす恵みを利用することで、それまで遊動生活を送っていた人々は定住するようになる。そうしてはじまった縄文時代はその後、1万年以上にわたって続いた。

「新しい環境下で人々が定住するようになった時代を、それ以前の旧石器時代に対して新石器時代といいますが、ヨーロッパや中国などでは、定住の基盤は農耕・牧畜でした。一方、日本を含む東北アジアの基盤は、豊かな自然に適応した採集、狩猟、漁労が主体。自然と向き合って理解し、高度に利用して文化を発達させてきました。中でも縄文文化は、自然のあらゆるものにカミが宿ると考えるアニミズムの哲学や信仰、助け合って生きるという精神文化が特徴。いずれも循環再生する自然から学び、自然とともに生きることで醸成したものです。イコモス(世界遺産登録の審査機関)関係者は、この精神文化を〝縄文スピリット〟と称して、感動しておられました」

自然の恵みに感謝し、自然と寄り添いながら発達してきた縄文文化。だがひと口に自然といっても、風土が多様な日本では、地域ごとに自然の恵みも異なる。

「だからこそ、縄文文化とひとくくりにはできません。その地域の自然に合わせて、言い換えれば、その地域にふさわしい生き方を工夫して生まれた、地域ごとの縄文文化が存在するということです」

北東北〜北海道南部でいえば、特徴的なのは、三内丸山遺跡、二ツ森貝塚など、大規模な集落が多いこと。

「大規模集落は、周囲30〜40㎞圏内に点在する集落を束ねる拠点であり、祭祀や物流のセンターだったと考えられます。また、北東北と北海道南部の間には津軽海峡がありますが、これは両地域を隔てるものではなく、物流や交流を促す運河のような役割を担っていました。集団の階層化や社会の構造化、そして他集落との盛んな物流や交流が見られるこの文化圏は、日本のほかの文化圏に比べて、強い文化的なまとまりを示しています。そもそも日本全体で見ると、縄文遺跡は東日本に多い。これは気候やそれに基づく植生から考えて、東日本のほうが暮らしやすい環境だったということでしょう。海の幸や鮭も豊富でした。特に北東北〜北海道南部の内浦湾沿いでは漁労具が発達し、漁が盛んに行われていたと考えられます」

 縄文人は、安定して住み続けるために自然から学んで場所を選び、インフラを整備した。豊かな生態系を支えるべく、自然を守りつつも適度に手を入れ、里山や里海も育てた。竪穴建物が円環状に等間隔に並ぶ集落の中心は、祖先の霊を祀る墓地広場で、集落の内外には、や貝塚を形成した。

「盛土も貝塚も、自然から学んだ循環再生の願いと自然の恵みへの感謝を込めて、万物をカミに送る〝送り場〟でした。貝殻などの食べかすはもちろん、壊れた道具や焼け土、灰、炭など、あらゆるものをカミに送っていました。その〝送り〟は祈りであり、祭りでした。縄文時代後期、北東北〜北海道南部の文化圏では、大湯環状列石のように集落中央に祭祀場である環状列石をもつ地方や、集落から独立した場所に環状列石を設ける地方もあり、多様な埋葬法や祭祀具が発達しました。亀ヶ岡石器時代遺跡に代表される亀ヶ岡文化圏でも、赤漆塗りの土器、装身具や祭祀具など多彩な工芸品が見つかり、北東北〜北海道南部の集落の祭祀の個性と発達をよく示しています」

 自然に敬意を払いつつ寄り添い、技を磨いて利用し、自然から学んだ哲学を基に輪になって助け合いながら暮らす。そこには〝おかげさま〟〝もったいない〟という日本文化の精神が表れている。いわば縄文スピリットは、日本人の生活や文化の基礎といえる。

「そうした縄文的哲学は、昭和30年代くらいまでは日本人の暮らしに息づいていました。それが高度経済成長期に入ると、地形を根こそぎ変えるような土地開発、都市部への人口集中など社会構造の変化、合成樹脂製品などの大量生産と消費によって、縄文時代以来の日本の文化は様変わりしてしまいました。ある意味で日本人の生活は豊かになりましたが、失ってしまったものも多いでしょう。このままではいずれ、祖先が積み上げてきた日本ならではの文化を食いつぶしてしまう。自然とともに生きながら調和的に利用し、お互いを尊重して助け合う縄文的哲学を見つめ直し、循環型の社会を目指していかなければならないと思います。人生、残り少ない私は、早く方向性を変えなければと、縄文人らしくもなく焦っています」

text: Miyu Narita
Discover Japan 2021年8月号「世界遺産をめぐる冒険」

 

キーワードでひも解く縄文スピリット
【衣食住編】

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