TRADITION

縄文人はどう生きたか。縄文授業~音楽編~

2018.8.6
縄文人はどう生きたか。縄文授業~音楽編~

縄文時代はまさにエンターテインメントの宝庫。
そして、世の中が少なからず閉塞感を抱え、本当の豊かさが見直されている今、未来のヒントは、意外と縄文人の生き方に隠れているのかもしれません。
いま改めて、縄文が知りたい――。
今回は特別に縄文時代の音楽についての特集をご紹介。

【縄文太鼓の生演奏動画はこちらへ】

今回の講師は縄文太鼓・ジャンベ演奏家、茂呂剛伸さん。
<Profile>
北海道生まれ。10 代後半に西アフリカのガーナに移住し、ジャンベ太鼓の制作と演奏を学んだ経験をもつ。2013年には出雲大社の「平成の大遷宮」で奉祝奉納の演奏を披露。北海道を中心に国内外で演奏を行う

縄文太鼓のビートにドキドキ!

縄文太鼓とは、ジャンベ太鼓演奏家でもある、茂呂剛伸さんが生み出した楽器。北海道や北東北など、19カ所の縄文遺跡の協力を得て採取した土を使い、エゾ鹿の皮を張って制作したオリジナルの太鼓だ。

「縄文太鼓には、1万3000年前の記憶をまとった土が詰まっています。縄文太鼓をたたいていると、自然とその時代に思いを馳せることができて、さまざまなイマジネーションがわいてくるんですよ。縄文時代から続く長い時間の流れの中で、自分が点ではなく線の上にいるような感覚になります」

そう語る茂呂さんが、縄文太鼓をつくるきっかけになったのが、長年、詩劇を通じて縄文文化を世界中に伝え続けている、札幌大学名誉教授で詩人のの原子修さんとの出会いだった。

「縄文は人類の未来」と提言する原子さんに、太鼓を通じて縄文文化を発信するべきだと背中を押され、縄文太鼓の制作を決意する。縄文土器の複製を手掛けている、専門集団「江別土器の会」で基本的な技法を学びながら、独自の手法を模索し、約5年前に縄文遺跡の土を使った、唯一無二の縄文太鼓を完成させた。その後も、各地の縄文遺跡をめぐりながら、縄文文化に対して理解を深め、〝より縄文を伝えていきたい〞と、制作とともに、縄文太鼓奏者としても活動をし続けている。

縄文遺跡の土から太鼓を手づくり

縄文太鼓はすべて一から手づくりしている。各地の縄文遺跡から採取した土を使い、形状をつくって文様をつけた後は乾燥させて約1週間。窯や野焼きで焼いた後に銅のリングを溶接し、エゾ鹿の皮を張るなど完成までには約1カ月かかるそうだ。

復元ではなく創造。

今や茂呂さんは8人の弟子とともに、演奏会や縄文太鼓のワークショップを積極的に開催し、縄文文化を伝える担い手の一人として道内を中心に、縄文遺跡がある各地で注目される存在に。2018年7月14日に開催された、北海道150年ウィークオープニングイベントでは、島牧村の中学生をはじめとする、道内100名とともに縄文太鼓の演奏を披露し、観客を魅了した。身体の奥底までじわじわ響く優しく力強い音色は、過去と今を結び、そして、未来へつながっていく可能性を秘めていた。
「1万3000年後の今に残るものを残してくれた先人の方々に感謝し、それを表現する者としてどう描き、未来に伝えていくのか。もしかしたら1万年後の未来を描くことが、縄文文化だったらできるんじゃないかと、私はワクワクしています。北海道だけではなく、日本の独創性のある文化として縄文を伝えていきたいです」
復元ではなく創造。縄文太鼓を通じ、過去の記憶を現代に語れる音を創造したいと、茂呂さんは言葉を結んだ。

縄文太鼓の演奏で北海道命名150年を祝福

札幌赤れんがが縄文のビートに包まれた!
2018年7月14日に開催された、北海道150年ウィークオープニングイベントでの生演奏をここだけで公開!

島牧村の中学生を筆頭に、道内の縄文太鼓奏者が一堂に会し『祝鹿』と題した演奏を披露。“蝦夷チック”をテーマに、縄文太鼓の音色を轟かせた。鹿面は現代芸術家・渡辺元佳さんの作。
優しく力強い重低音が持ち味の縄文太鼓。ビートを体感して、縄文時代に思いを馳せてみてはいかがだろうか。

(text: Kiyoko Yamauchi photo: Atsushi Yamahira)

※この記事は2018年8月6日(月)発売した『Disocover Japan9月号 Vol.83』から一部を抜粋して掲載しています。

RECOMMEND

READ MORE