TRADITION

歌舞伎から学ぶ逆境を越える力

2020.6.9
<b>歌舞伎から学ぶ逆境を越える力</b>
決死の覚悟で又平が描いた自画像は、分厚い石をも貫いて、力強く浮き出てくる。彼の絵筆には、それだけの気迫が込められていたのだ

歴史的な事件や愛憎劇など、歌舞伎にはさまざまな人間ドラマが濃縮されている。艱難辛苦を乗り越えた主人公からは、現代にも通じる勇気がもらえるはずだ。歌舞伎ソムリエのおくだ健太郎さんに、こんな時代だからこそ見たい、勇気をもらえるお芝居を紹介してもらった。

おくだ健太郎(おくだ・けんたろう)
1965年、愛知県生まれ。歌舞伎ソムリエ。TVほか、都内や地元・愛知県で歌舞伎公演の見どころをトークで発信。主な著書に『歌舞伎鑑賞ガイド』、『中村吉右衛門の歌舞伎ワールド』。小誌にて「歌舞伎キャラクター名鑑」を好評連載中
http://okken.jp

岩佐又兵衛という絵師がいます。戦国大名の息子に生まれ、動乱の世を生き、独自の画風をつくり上げた男です。血生臭い猟奇的な場面や強烈な色遣いの作品が、熱海のMOA美術館などに所蔵されています。

この又兵衛をモデルに、名高い劇作家・近松門左衛門は、又平という絵描きの登場人物を生み出し、自作に登場させました。又平は、生まれつき言葉の障害をもっています。よどみなくすらすらとしゃべることができません。かいがいしい女房・お徳が日頃から又平の世話をしていますが、夫の思いをくんで、それを相手に話して伝えるのも、いつもお徳の役目です。

『傾城反魂香』というお芝居にこの夫婦は登場します。又平の絵の師匠・土佐将監は、理由あって草深いひとつ家に謹慎生活を強いられています。そこに夜な夜な又平夫婦は、ご機嫌うかがいに通ってきます。ささやかな手土産も持って、です。師匠の家に住み込んでいる若い弟子も、もちろん師匠もその奥方も、朴訥で誠実な又平夫婦のこの見舞いを、温かく受け入れ、陰日なたの無さを好ましく見つめています。

ところが、当の又平は、自分の言葉の不自由さが負い目になって、伸び伸びと振る舞うことができません。ぺこぺこと卑屈なお辞儀を繰り返し、師匠とのやりとりを、お徳に任せてしまうのです。「こ、こ、こんばんは……」と不自由な言葉のことなど気にせず、たとえひと言でも自分自身の口から、師匠に直接あいさつすればいいのになあ……この芝居を見ていて、僕はいつも、そういうじれったさを感じるんです。

でも、人間って、そういうものかもしれませんね。自分が本当に負い目に感じていること、苦手で不得意なこと、恥ずかしいと思っていることを、人前でさらけ出すことは、なかなかできない。僕にだってそういう何かが(自覚していないかもしれないけど)あるはずです。

なのに、そのことをつい棚に上げて芝居を見ているんですね。師匠の苗字の「土佐」は、土佐派という立派な絵の流派の一員であることの証しです。又平も、いつか、これを名乗ることを夢見ています。住み込みの若い弟子は、又平に先んじて、土佐の苗字を許されました。それを知って、又平も意を決して「自分にも、名乗らせてください」と師匠に願い出るのですが──悲しいかな、又平はこれもやっぱり自分自身ではなく、お徳を通して師匠に伝えるのです。

自分にとっての最大の願い、一番肝心なことであってもやっぱり、又平はコミュニケーションをお徳に頼ってしまうんですね。そういう弱腰な気持ちが伝わってしまうのでしょうか。師匠は「(お前に)似合ったように、大津絵描いて世を送れ。まあ茶でも飲んで(今夜は)立ち帰れ」と、きつい口調で又平の願いを退けます。(大津絵は、又平が日々の稼ぎを得るために描いて売っている、下卑た絵、とここではご解釈ください)

負い目→自信喪失→伝える力不足、という「負のスパイラル」に又平は陥っているんですね。そのことが、普段の画風にまで、暗い影を与えてしまっている。僕は、師匠は、暗にそのことを又平に伝えている、と感じながら、このくだりを見ています。自分が変わらなきゃ、変える勇気をもたなきゃ、道は開けないぞ──突き放したような口調の背後には、こういう師匠の励ましが、しっかり息づいている。

この芝居、クライマックスは、死をも覚悟して又平が走らせた絵筆が思わぬ奇跡を起こします。それをたたえて師匠は、又平にも、土佐の苗字を与えます。感動的な場面です。

でもその前に、又平が「お……お願い!」と、ついに自分の口で、自分の声、言葉で、師匠に土佐の苗字への憧れを直談判するやりとりがあるんです。つっかえようが、言い間違えようが、気にせず、ひたすらに思いの丈をぶちまける又平。それはもう、ものすごい熱気、迫力です。これが又平には、いままでずっと欠けていたのだと僕は思うのです。この芝居の一番の急所、肝も、実はここだと思います。

モデルとなった又兵衛にも、さまざまな困難や葛藤があり、それを克服したからこそ、強固な作風を確立し得た──そんな近松の想像力や視点が、又平にも試練を与え、それを乗り越える物語を生み出したのでしょうか。

自分を変える勇気。それを振り絞るのは、簡単なことではないけれど、でも、ここぞというときには大切な勇気だと思えるのです。

執筆=4月13日
文=おくだ健太郎、イラスト=瓜谷 茜=
2020年6月号 特集「おうち時間。」


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